雍和宮と鐘楼  2007年 8月 15日




六日目は、雍和宮から孔廟国子監、鐘楼、後海を経て積水潭駅まで歩きました。夜は王府井を散策しました。

まず、地下鉄2号線の雍和宮駅で降りると、駅の出口は雍和宮の北側の壁に面した位置にあります。雍和宮の
伽藍は南北に細長く、正門は南端にあるので、地上に出たら雍和宮の西側の塀に沿って雍和宮大街をひたすら
南に歩きます。400mほど歩くと雍和宮の入場口があります。

2007年夏現在の入場券はカード・サイズのCD付きでした。帰国後に再生してみると、雍和宮を紹介するコンテ
ンツを収録したビデオCDでした。現地では足しか拝めなかった世界最大の木彫弥勒菩薩像ですが、ビデオCDの
映像では堂内上部から撮影された菩薩のお顔が拝見できます。その映像を本ページに引用したいところですが、
著作権問題で日中間の紛争の原因になると困るのでやめておきます。(^_^;


雍和宮の参道
雍和宮の参道


入場券を買って境内に入ると、長い参道を北上します。雍和宮駅から来る人にはずいぶん遠回りになります。


案内板
案内板


元々は清朝第三代皇帝雍正帝の皇太子時代の邸宅だった建物を乾隆帝の時代に、チベット仏教寺院に改築した
そうです。高さ18mの木彫大仏は世界最大で、1990年にギネス・ブックに記載されたとあります。なぜ、清朝
時代の北京にチベット仏教寺院が建立されたかと言うと、清朝はツングース系遊牧民の満州族の征服王朝であ
り、満州族とモンゴル族は同盟関係にあって、モンゴル族の信仰する宗教がチベット仏教だからです。

雍和宮の伽藍を撮影した動画を置いていますので、動画頁北京編2もご覧下さい。


昭泰門
昭泰門


先の案内板が、昭泰門の右のたもとを覆い隠しています。もう少し右側へ寄せられなかったのでしょうか。


雍和門
雍和門


門と言う名前ですが、祭壇があって直進して通り抜けは出来ません。左右に迂回して奥へ進みます。


狛犬?
狛犬?


雍和宮
雍和宮


この寺院の中心的建造物です。大きな如来像が三尊鎮座していますが、堂内は撮影禁止でした。


善男善女



仏教は、漢民族の間では道教との競争に敗れて廃れ、唯一残ったのが観音信仰であり、漢民族の参拝する仏教
寺院があれば、そこに祀られているのは十中八九観音様(例えば台北の龍山寺)です。それは観音様が、阿弥
陀様のようにあの世での救済を約束するのではなく、現世御利益を約束してくれる菩薩様だからです。しかし、
雍和宮本殿の本尊は、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来の三尊で、観音様は東北角の建物に祀られているそう
です。

雍和宮の客はほとんどが観光客で、観光客の半分以上は欧米人でしたが、雍和宮の本殿の前で熱心に祈りを捧
げる若者達がいまいした。彼らはモンゴル族かチベット族の出身者の本物のチベット仏教の信者なのでしょう
か。それとも漢族の若者が仏教宗派間の教義の違いに無頓着で、観音様と同じ感覚で祈っているのでしょうか?


万福閣
万福閣


この中に、高さ18mの世界最大の木彫仏像である弥勒菩薩像が立っています。


弥勒菩薩 弥勒菩薩


堂内は撮影禁止なので、建物の外から撮りました。弥勒菩薩の膝から下あたりです。


仏像
仏像


唯一、建物の外から鮮明に撮れた仏像の写真です。雍和宮の伽藍は鰻の寝床ですが、想像していたよりは遙かに
規模の大きい寺院でした。写真で紹介できないのが残念ですが、いろんな仏像があって仏教に興味のある方には
見応十分だと思います。ただし、案内板によるとこの寺は一時荒廃していたそうで、金ぴかの仏像は近年の制作
と思います。




孔廟
孔廟


雍和宮と雍和宮大街を隔てた西隣の区画に孔廟と国子監があります。孔廟は孔子を祀る廟、国子監は儒学の学問
所で科挙の試験会場にもなった施設です。両施設は隣り合っており、孔廟・国子監博物館として一枚の入場券で
両方を見学できます。門を入って右手にあるのが孔廟です。残念ながら至る所改修工事中でした。


屋根付きの石碑
屋根付きの石碑


孔廟の東端に石碑の並ぶ一角があります。石碑は豪華な屋根に覆われ、風雨から守られています。


石碑
石碑




清代進士題名碑
清代進士題名碑


進士とは、科挙の中央試験の合格者の事です。


清代進士題名碑アップ
清代進士題名碑アップ


合格者の名前と出身地が書いてあります。

出身や身分によらず、本人の才能と努力で高級官僚への道が開ける科挙という制度は、現代の価値観で見ても
素晴らしい制度です。が、制度はよかったが運用が悪かった。科挙の試験が求めた才能というのは、四書五経
を丸暗記する才能でした。そういう試験で選抜されたエリート官僚は、亜細亜に進出してきた欧米列強に対し
して、有効な対処ができず右往左往するうちに清朝は滅んでしまいました。


石碑の屋根
石碑の屋根


石碑はいかにも応急処置のような屋根に覆われています。つまり、この屋根が出来るまでは野ざらしだった訳
で、右側手前の石碑は一度崩壊してしまったようです。少し離れた場所には明代進士題名碑があるのですが、
そちらは表面がボロボロで判読不可能でした。


辟雍
辟雍


国子監の中心的建物、辟雍です。辟雍の本来の意味は紀元前周時代の大学の事だそうです。


孔子像
孔子像


国子監にも孔子像がありました。これは信仰対象ではなくて、北海道大学のクラーク像みたいな物でしょう。


回廊 写真1
回廊1


国子監のキャンパスの東西にある回廊のうち、東側の回廊です。回廊の中央付近でこの写真を撮った後、回廊
の端で撮れば面白い写真になるのではないかと気づきました。


回廊 写真2
回廊2


で、回廊の端に着いたとたん観光客が増え始め、一人が去ったかと思うと次の人が現れ、この写真を撮るため
に20分くらい待ちました。貴重な写真です。さて問題、上の2枚の写真の違いはどこでしょう?


民工のテント
民工のテント


西側の回廊は改修工事中で、昼休み中の出稼ぎ農民、民工が至る所で死んだように昼寝をしていました。この
テントは民工の宿泊所のようで、粗末な布団がはみ出ています。

古代地中海文明の残した壮麗な石造建築は、建築技術の高さもさる事ながら、奴隷制の存在も大きかったと思
いますが、高層ビルの林立する現代中国の大都市の繁栄も、民工という名の奴隷労働によって支えられている
ところが大きいと思います。


鐘楼遠景
鐘楼遠景


孔廟国子監から西へ1kmほど歩くと鐘楼があります。明・清時代に北京市民に鐘の音で時刻を知らせた施設だ
そうです。施設の入口は南側にあり、上の写真は南側から撮っています。

動画を置いていますので、動画頁北京編2もご覧下さい。


鐘楼近景
鐘楼近景


遠くの方まで鐘の音を届ける為にできる限り高く、大きな鐘をつり下げる為にできる限り頑丈に、という機能
上の要請から設計された無駄のないデザインは、権力の誇示を目的とした紫禁城の建築群より好感が持てます。
鐘楼の1階には土産物店が入居しています。写真の下の方に写っているアーチ型の入口は土産物店の入口です。
鐘楼の上部へ登る階段は北側にあります。


階段
階段


登ります。ちょっとインディ・ジョーンズ気分。


鐘的掛件
鐘的掛件


クレーンのない時代に、この鐘をどうやってここにセッティングしたのか、謎です。


永楽大鐘
永楽大鐘


案内板によると、直径3.4m、重量63t、明の永楽帝の時代に鋳造されたそうです。どんな音がどれくらいの
音量で鳴るのか、聞いてみたいものですが、実演はしていませんでした。


鼓楼
鼓楼


鐘楼の南隣には鼓楼があります。元の時代に太鼓を叩いて時刻を知らせたそうです。太鼓の音がそう遠くまで
聞こえるとは思えません。だからこそ、明の時代になって北隣に鐘楼が建築されたのでしょう。ガイドブック
によると、鼓楼では太鼓演奏の実演をしているそうですが、時間もないので寄りませんでした。


北京市の地下鉄2号線の内側(旧城壁内)は、高層ビルの建築制限があるようです。経済的利益より古都の景
観を守る事を優先するとは、賢明な処置だと思います。この景観を記念に残すべく、鐘楼の上から四方向の写
真を撮りました。が、どの写真がどの方角か記憶がないです。鐘楼の写っているのが南方向、ビルが近くまで
迫っているのが北方向なのは確かですが、西と東は間違えているかもしれません。(^_^;










西









鐘楼を出てから、煙袋斜街を通り、後海北岸を散策して積水潭駅へ向かいました。


銀錠橋から前海を望む
銀錠橋から前海を望む


紫禁城の西から北方向に池が連なっています。南から、南海、中海、北海、前海、后海、となります。前海と
后海は小舟の往来できる水路で繋がっており、その水路の上に掛かるのが銀錠橋です。上の写真は銀錠橋の上
から、南方向にある前海を撮ったものです。この先には三日目に行った白塔のある北海があります。ところで、
白塔から撮った北海の写真の遠方に鐘楼が写っている事に気づきました。興味のある方は探してみてください。


道しるべ
道しるべ


銀錠橋のたもとにあった道しるべです。道しるべの向こうは北方向で、后海が写っています。


銀錠橋
銀錠橋


前海と后海を接続する水路の上に掛かるのが銀錠橋です。が、このあたりで写真を撮っていると、観光客相手
の人力車の車夫が「ジンリキシャ、ジンリキシャ」とまとわりついて、うるさいです。


煙袋斜街界隈
煙袋斜街界隈


洒落たレストランやバーが並んでいます。


后海
後海


湖畔は柳並木の遊歩道が整備されて風光明媚です。人力車に乗るより、自分の足で散策する事をお勧めします。

后海湖畔散策中の動画を置いていますので、動画頁北京編2もご覧下さい。


アラディン
アラディン


后海の北岸付近にも洒落たレストランが並んだ一角があります。この店もその一軒ですが、調度は古代エジプ
ト風、しかし店名はアラディンとペルシャ風。この店のオーナーは古代エジプトと中世アラビア・ペルシャの
区別が付いていないのか?ところで「アラジンと魔法のランプ」の原典では、舞台は中国となっているそうで
すね。


徳勝門箭楼
徳勝門箭楼


徳勝門箭楼は、天安門広場の南にある箭楼とともに残る防御用の門です。徳勝門を右手に眺めつつ徳勝門西大
街を西に進み、地下鉄2号線積水潭駅から地下鉄に乗って、一旦ホテルへ戻りました。








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