台湾・台北 その3 祝!民国100年 双十節 2011年 10月 10日


台湾では、10月10日の双十節は国慶節とも呼ばれるので、中華民国の建国記念日だと思っていましたが、調べ
てみると大間違いでした。中華民国の建国は1912年1月1日で、10月10日は辛亥革命の記念日でした。台湾での
年数表記に使用される民国歴は西暦1912年を元年とするので、西暦1912年=民国歴1年となり、両辺に100を足
すと西暦2012年=民国歴101年、さらに両辺から1を引いて西暦2011年=民国歴100年という計算になります。

つまり、中華民国の建国100周年は2012年1月1日であり、2011年10月10日は辛亥革命100周年記念日となります。
また民国歴が100年という切りの良い数になる年の国慶節であるとも言えます。当日の台北の街を歩いた記憶
では「中華民国100年」という垂幕は至る所で目に付きましたが、「辛亥革命」を目にした記憶はありません。
台湾の本省人にとっては辛亥革命は他国の歴史であって、「辛亥革命100周年」と言われても祝う気にはなれ
ないのかもしれません。「フランス革命○周年記念日」がイギリス人にとっては他国の記念日であるように。


双十節の朝、私はホテルを出て中山路を南へ歩きました。私の目当は軍事パレードでしたが、どこで行われる
のか情報がありません。JCBプラザでアドバイザーに聞いても知りません。ホテルのフロントに聞いても知
りません。タクシーに乗った時に運転手さんに聞いても知りませんでしたが、「台北で大きな行事は中正紀念
堂の広場で開催される」と教えてくれて、私もその意見はもっともだと思い、中正紀念堂を目指したのでした。


監察院


中山南路と忠孝東路の交差点に建つ監察院です。旧台北州庁舎で、日本統治時代の名建築です。入口に「慶祝
中華民国一百年国慶」の幕が掛っています。


教育部庁舎


中山南路を更に南下し、教育部の前を通り過ぎました。日本で言えば文部科学省に該当するお役所です。同じ
く入口に「慶祝中華民国建国一百年」の幕が掛っています。冒頭で説明した通り、中華民国の建国は1912年で
すから「建国一百年」は2012年です。国の教育を預るお役所としてはお粗末ですね〜、と思っていましたが、
ある事を思い出しました。台湾では人の年齢を数える場合には「満」ではなくて「数え」を使います。もし、
台湾人の知合いが出来て相手の歳を聞き、自分の年齢と同じだった場合に「同い年だ」と思っては行けません。
相手は「数え」で答えているので、その相手は一つか二つ年下のはずです。同様に国家の年齢も「数え」で表
示するとしたら、西暦2011年を「中華民国建国百年」と表現しても間違いではありません。が、日本のメディ
アが双十節を報道する場合に、「建国百周年」と「周」を付けたとしたら、それは間違いとなります。


景福門


双十節当日の総統府周辺の道路は歩行者天国で、車道の真ん中にあって普段は近寄れない景福門の写真を間近
で撮影できました。景福門は旧台北城の東門で、往時は北門と同じ姿をしておりましたが、現在は上部が完全
に造り替えられてしまったので、歴史的文化財としての価値には疑問符が付きますが。


凱達格蘭大道


総統府から東へ延びて景福門に突き当るまでの大通りの名称が「凱達格蘭大道」である事は、今、地図を見て
知りました。外来語の音訳っぽい地名ですが、調べてみると、元は蒋介石の長寿を祈念する意味で「介寿路」
だったのが、陳水扁前総統が台北市長時代に台湾先住民族のケタガラン族の名称から取って改名したそうです。
写真を見ての通り、一般人は立入り禁止で総統府方向へは進む事ができませんでした。


景福門の前から総統府の方向を眺めている時、周囲の人々から歓声が上がりました。回りを見渡すと人々は空
を見上げています。私も人々の視線の方向を見ると、北からヘリコプターの編隊が飛んできました。

ヘリコプター


次に飛んできたのが4発の輸送機です。帰国してから中華民国空軍の装備を調べましたが、ロッキード C-130
ハーキュリーズのようです。

輸送機 C130


次に飛んできたのは戦闘機です。この機影は主力戦闘機F16でしょう。

戦闘機 F16


次に飛んできた戦闘機は機影が少し異なります。このデルタ翼はミラージュだと思います。

戦闘機 ミラージュ2000


トリは三色の飛行機雲を棚引かせたアクロバット飛行チームでした。別に台北上空でアクロバット飛行をした
訳ではありませんが、アクロバット飛行チームは空軍の華ですから、最後を締めるならそれに違いないと直感
で思った訳です。帰国してから調べると、中華民国空軍のアクロバット飛行チームは「雷虎特技小組」という
名称だそうで、現在の使用機材は「AT-3自強號」という国産ジェット練習機だそうです。機影から判断しても、
雷虎特技小組に間違いないでしょう。

雷虎特技小組 七機大雁隊型低空通過



編隊が通り過ぎた後、しばらくしてまた歓声が上がりました。人々の視線の方向を追うとパラシュート部隊が
発煙筒を焚きながら降下中でした。

パラシュート部隊




パラシュート部隊は新光三越百貨店付近へ降りていきました。そのあたりで式典が行われているようですが、
私は当初の目的地である中正紀念堂へ向いました。




自由広場


中正紀念堂の名称は政権交代に伴って一悶着ありましたが、牌楼中央に掲げられた「自由廣場」の文字は元の
「大中至正」に戻す気配はありません。しかし、この広場の正式名称が「自由廣場」で落着いたのかどうかは
調べてもはっきりしませんでした。


音楽庁と戯劇院の間では、学生らしき若者の集団がパフォーマンスを演じていました。

広場でのパフォーマンス


上の写真の集団は地面にパネルを並べて絵や模様を作るパフォーマンスのようですが、私が到着した時は終っ
て片づけているところでした。次のグループは、ニュージーランドのハカの舞を演じていました。

ハカ



広場を通り過ぎて中正紀念堂へ近づくと、白バイ隊がズラリと整列していました。警察ではなくて憲兵隊です。
中華民国憲兵を調べると、国軍の一部隊であるが独立運用で陸軍司令部の管轄を受けないそうです。

憲兵隊






ここで何かのパフォーマンスをするのかと思って待っていると、彼らはオートバイに乗って去っていきました。
推測するに、どこかの別の会場でパレードする出番を待って、ここで待機していたのでしょう。


中正紀念堂内部


中正紀念堂の中に入りました。蒋介石の銅像の左右に立っているはずの儀仗兵がいません。


儀仗兵


なんと儀仗兵の立つ位置が変更されていました。紀念堂のアーチ型の入口の左右に立っていました。それから、
儀仗兵の歩く経路も変更されていました。昔は紀念堂正面の長い階段をロボット歩きで登ってきましたが、今
はエレベーターに乗って登場します。

衛兵交代式は何度も見たので、今回の旅では彼らがどこから出てくるのか突止めたいと思い、交代して戻る衛
兵の後を追いかけて、ついに彼らのアジトを発見しました。中正紀念堂1階の土産物店の裏にある儀隊備勤室
です。

中正紀念堂1階土産物売場


儀隊備勤室


儀仗兵勤務終了


儀仗兵の勤めは儀隊備勤室を出た時から始ります。土産物店の前からロボット歩きです。昔は、ここから一旦
外へ出て長い階段を登っていたのですから、エレベーターを使うようになったのは労働環境の大きな改善です。


交代式見学後、広場へ戻った私は、そこで神様の集団に遭遇しました。

神様軍団







どこか別の場所でパレードを終えて、出番が終った後の休息中のようです。神様軍団の歩いてきた方向を見て、
牌楼の左右に二つの赤いテントが設営されている事に気付きました。テントには「台南新営太子宮 臨時行宮」
と「嘉義新港奉天宮 開臺媽祖臨時行宮」と表示されています。台南と嘉義の有名な道教寺院が、臨時でお宮
を出店?しているようです。

台南新営太子宮 臨時行宮


嘉義新港奉天宮 開臺媽祖臨時行宮


中山南路からテントまでの臨時参道に人々が並んで誰かの到着を待っているようです。警官も警備している事
から相当な重要人物が来ると思われます。私も人垣の中でVIPの到着を待つ事にしました。

馬英九総統


やはり相当のVIPが到着しました。馬英九総統です。時刻は昼過ぎで、恐らく総統府での式典を終えた後に、こ
こへやって来たと思われます。相当は二つのテントの神様に参拝した後、御輿の行列に混じって会場を去って
行きました。今から思えば、2011年10月時点では、2012年1月の総統選挙の選挙運動の真っ最中だった訳です。
台南と嘉義の道教寺院への参拝は、台湾南部の本省人の心を掴むパフォーマンスだったのかもしれません。

ところで、上の嘉義新港奉天宮のテントの左右に巨人の神様が鎮座している事に注目してください。これは媽
祖神の配下の千里眼順風耳です。見たこと、聞いたことを媽祖神に報告する役目の神様だそうです。

千里眼


順風耳



みぞおちあたりに開いている穴の位置に、中に入っている人の頭があり、背丈は2mを超える巨人です。この
千里眼と順風耳が中正紀念堂前の中山南路を大行進しました。歩く時に大きく腕を振るのがちょっと不気味で
す。長い、長い。行列は100体くらいは続いたでしょうか。台湾全土の千里眼と順風耳が総出演したのかと思
いましたが、後で写真を見るとどの神様も「新港奉天宮」のタスキを掛けています。

千里眼と順風耳の大行進







次は山車のパレードです。一昔前のカーニバル風のデザインで、千里眼と順風耳の大行進を見た後では印象は
薄かったので、山車のパレードはちょっと見ただけでホテルへ帰りました。後で写真をよく見ると装飾のモチー
フは龍などの中華風味で、中洋折衷の山車でした。あまり写真を撮らなかった事が悔まれます。

山車のパレード





双十節の夜は淡水河畔で花火大会があるそうなので、夜になって淡水河へ向いました。淡水河畔のどのあたり
で開催されるかは知りませんでしたが、淡水河畔に出れば判るだろうと思い、民生西路を西へ歩きました。開
催時刻も判りませんでしたが、こういう催しの開始時刻は7時くらいだろうと予想し、7時前に到着する事を
目指しました。淡水河に近づくと車輌は通行止になり人通りも増えたので、私の予想は当っているようでした。

民生西路



大稻f(注:fの字の王編は、正しくは土偏)の淡水河へ出る水門に到着しましたが、係員がスピーカーで何
か叫んでおり、それを聞いた人々は堤防沿いに南へ歩いています。「この入口は満員札止で、南の入口へ行け」
と言っているようです。私も他の人々の流れに乗って、堤防沿いに南へ歩きました。

大稻f



帰国してから調べましたが、台北市街から淡水河畔へ出られる箇所はそれほど多くはありません。民生西路を
西へ進んで突き当った所が5号水門で、そこから河畔へ出た所には遊覧船乗場の淡水河碼頭があります。同様
に、南京西路を西へ進んで突き当った所は4号水門、市民大道を西へ進んで突き当った所は3号水門がありま
す。3号水門は自動車が通れる幅がありますが、4号水門はバイクが通れるほどの狭い水門で、花火大会時の
4号は緊急出入口となって一般人は入場できず、5号水門から入れなかった私は市民大道の3号水門まで歩く
事になりました。地図を見ると台北中心部の淡水河東岸の岸辺は延平河濱公園となっていますが、5号水門付
近の公園面積は非常に狭いので、早々と入場制限されたとしても不思議ではありません。花火大会に行くのな
ら最初から市民大道を西へ歩いて3号水門を目指すべきでした。

花火大会







双十節の翌日は帰国日でしたが、昨夜花火を見学した淡水河畔がどんな様子だったのか気になって、早朝に延
平河濱公園まで散歩して来ました。まず、ホテルから一番近い4号水門を目指しました。

4号水門(市街地側から)


4号水門(淡水河側から)


昨夜は一般人立入り禁止だった4号水門は、平素は解放されていました。4号水門から入った所に道教寺院が
ありました。この寺院は洪水時には水没する事になりますが、神像はどうするのでしょうか?

道教寺院



延平河濱公園は、グランドで運動する人あり、遊歩道をジョギングする人あり。平素は普通の市民公園でした。

市民グランド


上流方向


対岸


下流方向



昨夜の花火を見学した場所に行ってみました。12時間前の熱気がウソのようでした。

昨夜花火を見た場所



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