台湾・台北  2010年 11月 1日 〜 11月 10日



台北滞在の前半は中華路沿いの儷莱商旅に宿泊したので、散歩がてらにホテルの近くにある国家一級古蹟の北
門を訪ねました。中華路の北端からちょっと東へ曲った所にあります。かつて台北を囲む城壁にあった門の中
で唯一原形を留めており、左右に反り上がった屋根が福建様式の特徴です。

通称・北門



門の北側つまり城壁の外側に回ってみると門の名を書いた額が掲げられています。北門の正式名は承恩門です。

正式名・承恩門



門の北側ギリギリを高架道路がかすめており、一級古蹟にしては肩身の狭そうな保存状況です。さて、ここで
問題です。門の横に入口がありますが、あんな高い所からどうやって出入りしたのでしょう?

北門の横側



答は下図を見て下さい。昔は門の両側に城壁が繋がっていたのです。台北駅前地下街の西端に旧台北城壁の発
掘品を展示したスペースがあり、下の復元図はそこで撮影しました。

復元図



図に描かれているのは景福門(現在の通称は東門)です。


現在の景福門(通称・東門)



上の写真は現在の東門です。まったく原形を留めていません。日本統治時代に西門が撤去されて台湾人の反発
を受けた為に、台湾総督府は方針転換して残る門の保存を決定したそうですが、戦後にやって来た国民党政府
は、1966年に東門、南門、小南門を大改造してしまいました。一級古蹟に指定するなら、原形のまま保存する
べきだと思いますが、外省人政権にとっては土着の福建様式の門など保存する価値はないのでしょうか。東門、
南門、小南門は総統府に近い位置にあるので総統府を飾るアクセサリーとして改造され、北門は総統府の裏手
方向の離れた位置にあるので、放置されて原形のまま生残る事ができたと推測します。


北門から延平南路を少し下ったところに古風な洋館があり、歴史資料館として無料で一般開放されていました。

撫臺街洋楼



その中の展示物に台北の古地図がありました。この地図は南が上になっており、右下の門が北門です。東西は
中華路と中山南路、南北は忠孝西路と愛国西路に挟まれた長方形の区域が、かつての台北城です。

台北城の古地図



総統府の一部を一般開放していると知って、見学に出向きました。総統府の周囲は大勢の警備員が警備に当っ
ています。当然、公務員でしょうが一般の警官とは異なる制服を着ています。私が総統府の写真を撮っていて
も咎められませんでしたが、塔の写真を撮ろうと真正面からカメラを向けると近くの警備員に制止されました。
正面玄関付近の写真は御法度のようなので注意して下さい。

総統府(高解像度)



一般人の見学は平日朝9時から北東の角(博愛路と宝慶路の交差点付近)の裏門で受付けています。

一般人見学者用の入口


外国人はパスポートの提示が必要です。日本人見学者は10人くらいでグループを作り日本語の出来るボランティ
アの方に引率されて見学しました。総統府の建物は上から見ると日の字の形をしており、1階は倉庫だったそ
うです。その一部に見学経路を設定して総統府の歴史を紹介するパネルや資料を展示していました。


総統府の中庭から見る塔


見学中の写真撮影は禁止で、写真撮影が許可されたのは見学経路の最後の中庭だけでした。見学を終えると裏
手の博愛路の門から退出しました。総統府の建物は博愛路の方が間近に観察する事ができます。


総統府の裏側



次に長榮海事博物館を見学しました。総統府の正面玄関から東へ進んで東門を過ぎた所に張榮發基金會のビル
があり、博物館はその中にあります。張榮發氏は長榮集団(エバー・グリーン・グループ)の創業者であり、
長榮集団の祖業は海運業である事から、海をテーマにした博物館を開設したと推測します。


長栄海事博物館入口


このビル全体が博物館という訳ではなく、張榮發基金會ビルの中の一部に博物館が入居している形です。門か
ら入ると守衛さんに呼止められ、博物館の見学者である事を告げて入場券の券売所を聞きました。入場券はビ
ルの玄関を入った所で売っていました。


1階ロビーの展示物


写真の手前はダウ船の模型です。船尾の操舵室の大きさから推測するに縮尺は1/2くらいでしょうか。


鄭和艦隊の船の模型


ダウ船の隣に展示してあるのは、明の永楽帝の命でインド洋を遠征した鄭和艦隊の船の模型です。船尾の構造
物は階段ではなくて、三階建の船室です。つまりあの一段が人の背丈以上ある訳です。こんな大きな船を木造
で作ったとは信じられません。仮に作れたとしてもこんなずんぐりした船が風力で動くとは思えません。白髪
三千丈のお国柄ですから、文献に誇張して記載された寸法を真に受けて模型を作ったのではないでしょうか。


5階の展示


博物館の順路は、まずエレベーターで5階に上り、各階の展示物を見学したら階段で下に下りる方式でした。
5階、4階は、船の模型を歴史の流れに沿って展示していました。3階は海や船をテーマにした油絵(海洋画)
のコレクションを展示しており、博物館というより美術館です。私的には、3階が一番興味深かったですが、
残念ながら3階は撮影禁止でした。2階は、本物の機械を持込んで、現代の大型船のブリッジを再現していま
す。大型スクリーンにブリッジから見える港の風景のCGを映し出しており、船長気分になれます。


中正紀念堂


海事博物館を出て鼎泰豊へ向う途中、中正紀念堂の前を通りました。民進党政権下で「台湾民主紀念館」に改
名されたそうですが、国民党政権下で元の名前に戻りました。次に民進党が政権を取ったらまた「台湾民主紀
念館」になるのでしょうか。


次に、レトロな建築の並ぶ乾物問屋街の迪化街を紹介します。当局も観光名所として整備すべく、あちこちで
修復工事をしていました。

修復工事現場のシート


迪化街の通り


永楽市場



屈臣氏大薬房という漢方薬の店がありました。香港発祥のドラッグ・ストア・チェーン店との関係は不明です。
その3階の壁面にレリーフがありますが、もしかしたらレリーフ(浮彫り彫刻)ではなくて左官職人の作った
鏝絵(こてえ)かもしれません。台湾にも鏝絵の技術を持った左官職人がいるのでしょうか?

屈臣氏大薬房


壁のレリーフ(鏝絵?)



迪化街には前世紀末にも行った事がありますが、その時は乾物屋街という認識で建物の価値には気付きません
でした。今回は建築物に注意して街を歩きましたが、確かに凝った装飾の建物がたくさんありました。


黄永生


台茂紡繊


禧元堂


顔義成商行


百安堂


義裕企業


台湾農産公司


乾元行


和億参茸


萬安堂




市民大道沿いの仮設店舗で営業していた光華商場の新店舗が完成したと聞いて行ってみました。台北の秋葉原
と言われた光華商場は、元々は市民大道を跨いで松江路と新生南路を結ぶ高架道路の高架下にありました。高
架道路の撤去に伴い新築のビルに移転する事になりましたが、高架道路の撤去と新ビル完成に数年のズレがあ
り、その間は市民大道沿いの空地に建てた仮設店舗で営業していました。下は2007年に撮影した仮設店舗時代
の光華商場です。

光華商場の仮設店舗(2007年撮影)



今回行ってみると、市民大道と新生北路の交差点付近に新ビルが完成していました。その名も光華数位新天地。

光華数位新天地



昔の光華商場の焼跡闇市的雰囲気は微塵もありません。1階はPC大手ブランド店や食堂街が入居しており、
2〜5階には、パソコン・パーツ店、マンガ店、DVD店などのオタク店が入居しています。

売場1階


売場2〜5階


書店


DVD店


ドラマのDVD



1階にお茶目なユニホームのクロワッサン専門ベーカリーがありました。

ベーカリー「康喜軒」


康喜軒の店員さん


ちなみに、中国語でクロワッサンは牛角麺包または羊角麺包です。彼らの帽子を見て、「バイキングの扮装を
しているから北欧のパンだろう」と勘違いしないで下さい。


しかし旧光華商場にはたくさんあったアダルトな商品を扱っている店が見あたりません。彼らはどこに行った
のか?と捜すと、新生北路を東へ渡った所にある「新光華商場」に入居していました。お子様連れの方は間違っ
て入らないよう注意してください。(^_^;

新光華商場



MRTの新路線「盧洲線」が開通していました。板南線忠孝新生駅を起点に北上して行天宮前で西へ曲り、民
族西路駅で淡水線と接続し、さらに西へ進んで淡水河西岸の三重市へ通じる路線です。忠孝新生駅から更に南
へ延伸する計画だそうで、永康街あたりの道路で地下鉄工事をしていました。

忠孝新生駅の盧洲線ホームへ通じる階段


盧洲線ホーム



この路線の忠孝新生駅から北へ2駅目に行天宮駅が出来たので、行天宮に行くのが便利になりました。ただし
行天宮駅は行天宮の真ん前にあるのではなくて200mほど南にあります。その行天宮駅のホームの壁面に謎の楽
譜が描かれています。それほど名曲とも思えませんが…いったい何の曲でしょうか?

行天宮駅の壁面にある謎の楽譜


 →演奏開始


行天宮は関羽を祀っているそうです。武将なのになぜか商売の神様です。

行天宮


境内のお供え物



行天宮前の交差点の地下道に、占師の小部屋が軒を連ねています。通称、占い横町。日本語OKの店が多いで
すが、日本語通訳を雇っている所も多いそうです。中には、80歳以上の日本語教育世代や日本留学経験があっ
て日本人と変らない日本語を話せる占師もおられるそうです。が、ヂタマンなんて意味不明の言葉を見ると、
その日本語能力に一抹の不安を感じます。(^_^;

占い横町東側


占い横町東側


占い横町西側


占い横町西側


通路の占いの屋台


また、龍山寺前の地下街にも同様の場所があるそうですが、日本語OK率は行天宮の方が多いそうです。


帰国前日に自来水博物館を見学して来ました。自来水とは「自らやって来る水」という意味で、中国語で水道
水の意味です。この施設は「自来水園区」という水道をテーマにした公園の中にある博物館です。場所は地下
鉄新店線公館駅から南西へ徒歩5分です。なお公園に入るのは無料ですが博物館は有料です。

自来水博物館


この博物館は、子供向けに水道の仕組みを説明するといった主旨の水道博物館ではなくて、ポンプ室の建物と
その中に並ぶ電動機やポンプを産業遺産として展示している博物館です。見所はやはり明治41年に建てられた
ギリシャ建築風のポンプ室の建物でしょう。私が行った時には、なんと4組の新婚さんと写真屋さんが、結婚
アルバムの写真撮影をしていました。


新婚さんの撮影


列柱


ポンプ室





ポンプは米国製と日本製(日立、荏原)でした。

ポンプ(米国製)


ポンプ(日立製)


ポンプ(荏原製)



ポンプ室でも新婚さんの撮影



ポンプ室の壁を突抜けて外に出た水道管


地面に潜る水道管


倉庫を突抜ける水道管


ポンプ室の壁を突抜けて外に出た水道管は、裏庭の土手から地面の中へ潜り込みます。一部の水道管は裏にで
倉庫の壁も突抜けていました。




最後に台北で食べた物の残りを報告します。

重慶南路と開封街の交差点にある福洲世祖胡椒餅です。本店は饒河街夜市の屋台だそうです。前回食した時に
肉汁で手を汚してしまったので、今度は汚すまいと注意して食べたのですが、やはり最後に溢れ出た肉汁で手
を汚してしまいました。一口食べて穴を開けたら、まず肉汁を全部吸出せばよいのではないかと後で気付きま
した。次回こそ手を汚さずに巧く食べてみせます。p( ̄◇ ̄)q 

福洲世祖


胡椒餅の製作作業


胡椒餅


手作り作業の動画はこちら


総統府の裏手にワンタン屋の並ぶ通りがあります。この料理の日本における名称である雲呑(ワンタン)は広
東語であり、北京語では 食昆 食屯 と呼びます。また、ワンタンには南方方言で「扁食」という言い方もあ
ります。「偏食」ではありません。「扁」は扁平の扁で平らという意味があり、小麦粉を練って平らに伸した
食材、つまりワンタンの皮を指します。

趙記 菜肉 食昆 食屯 大王


店内


食昆 食屯


鮮肉 食昆 食屯 湯を食べました。ワンタンはお肉たっぷりでしたが、スープは可もなく不可もなくの醤油味
で普通の味付けでした。


鼎泰豊本店に行きました。夕方4時頃に行くと待たずに入れました。

鼎泰豊 本店


マスコット「包仔」


店頭にマスコット・キャラクターの像が立っていました。店員さんに名前を聞くと包仔(baozai)だそうです。


店内


小籠包と牛肉湯


糯米焼売


夜の本店前


食い終って夜6時頃に店を出ると店頭はいつもの人だかりでした。行くなら夕方4時頃をお勧めします。


公館駅付近の拉麺店


トンカツ拉麺


自来水博物館の帰りに公館駅付近の拉麺店のショーケースで見かけたメニューです。トンカツ・ラーメン!
その日は鼎泰豊へ行く予定だったので、残念ながらこのラーメンは食べませんでした。


コンビニで買った1リットルの紙パック牛乳です。北海道100%特極鮮乳とあるので、北海道から空輸したのか?
と思いましたが、良く読むと「特別採用北海道乳牛畜牧技術」とは書いてありますが、北海道産とは書いてい
ません。

北海道牛乳




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