シンガポール、チャイナ・タウン界隈  2009年 8月 9日 〜 8月 13日



チャイナ・タウンの前にマレー鉄道のシンガポール駅に行きました。マレー鉄道はマレーシアの鉄道ですが、
シンガポールがマレーシアから独立する時にシンガポール領内を通るマレー鉄道の線路の所有権について両
国が争い、いまだ解決していない国境紛争地帯です。シンガポールは線路とシンガポール駅舎は自国領と主
張しているので、シンガポール駅からマレーシアへ向かう国際列車の乗客に対する出国審査は、列車が国境
を出る手前のウッドランズ・トレイン・チェックポイントで行いますが、マレーシアも線路と駅舎は自国領
という立場なので、入国審査はシンガポール駅で乗車する前に行います。従って、マレー鉄道でマレーシア
に向かう乗客は、先にマレーシアの入国審査を受けた後に、シンガポールの出国審査を受ける事になります。
しかし実際のシンガポール駅は、そんな国際紛争の場とはとても思えないのどかな田舎駅でした。

動画頁 シンガポール編」参照

注:シンガポール領内のマレー鉄道の線路と施設はマレーシアからシンガポールに返還され、マレー鉄道の
  終着駅はウッドランズ・トレイン・チェックポイントになり、シンガポール駅は2011年6月30日に廃止
  されたそうです。なお、新聞報道によるとこの駅舎は保存される予定だそうです。


マレー鉄道 シンガポール駅



駅舎外観



コンコース



駅舎内部空間



壁画



一日の列車は、発車が5本、到着が6本。閑散としているはずです。発車の時刻表を見ると、始発の7:40発
の列車は、約7時間かかってクアラ・ルンプールに14:23に到着します。


時刻表



コンコースの写真で左端の柵越しにプラットホームが見えていますが、あの柵の隙間から撮ったのが下のプ
ラットホーム1の写真です。そして、コンコースの写真の右奥に売店がありますが、あの売店に入って中を
進んでいくと、改札もなくプラットホームに出てしまいました。そこで撮ったのがプラットホーム2の写真
です。冒頭の建前で言うと、マレーシアにとって線路の敷地はマレーシア領のはず。外国人がこうも簡単に
入れてしまうとは、のどかなお国柄です。しかしたまたま警備員がいて、密入国でつかまっても知りません
ので、プラットホームの写真を撮る方は自己責任で入って下さい。(^_^;


プラットホーム1



プラットホーム2



レールがのたうち回っています。この駅からクアラルンプールを経てバンコクに向かうオリエンタル急行に
いつかは乗ってみたいと思っていましたが、乗り心地は悪そうです。



シンガポール駅を後にしてチャイナ・タウンへ向かう途中、仏牙寺に立ち寄りました。2002年開山の鉄筋コ
ンクリート4階建てのお寺です。仏舎利を祀ってあるそうですが、どこから調達したのでしょうか


仏牙寺正面



入口拡大



仏牙寺側面



屋上の百龍宝殿



屋上に庭園とお堂、3,4階には仏像の展示スペースがあり博物館のようです。その展示されている仏像を
見てびっくり。展示スペースの入口で最初に目に止まったのがガンダーラ仏。この仏像は東京国立博物館に
あるのでは?と思っている時、仏像に値札が付いている事に気づきました。どうやら世界各地の有名な仏像
のコピー品を展示してあるようです。仏像に付いているのを値札と言ってはいけませんな。お布施代です。
しかし、コピー品と言っても非常に精巧に出来ていますので、世界各地に点在する一流の仏教芸術を、一堂
に会して見られる。それもタダで。と思えば、一見の価値のある寺院だと思います。


チャイナ・タウンに到着しました。ショップ・ハウスがパステル・カラーで塗られているのはプラナカン文
化で、他の国のチャイナ・タウンとは趣が異なります。今回撮影と前回撮影の写真を合わせて紹介します。


チャイナ・タウン1



チャイナ・タウン2 スミス・ストリートの屋台街



チャイナ・タウン3



チャイナ・タウン4



チャイナ・タウン5(2003年撮影)



チャイナ・タウン6(2003年撮影)



チャイナ・タウンの一角にヒンズー教寺院があります。今回は改修工事中だったので前回旅行時の写真を紹
介しておきます。この右隣にはモスクもあり、国際都市シンガポールの縮図と言えます。


スリ・マリアマン寺院(2003年撮影)



チャイナ・タウンの外れに、シンガポールで最も古い福建系道教寺院の天福宮があります。


天福宮 門



天福宮 お堂



左右に反り上がった屋根の形が福建様式の特長です。台湾の道教寺院のお堂もこの様式です。祭神は福建省
沿岸部で信仰されている航海の守護神、媽祖だそうです。


天福宮 内部



ところで、天福宮前の案内板を見て驚きました。一行目がアルファベットで「Thian Hock Keng」、二行目が
漢字で「天福宮」ですが、最下行の日本語表記が「ツアソ・ホシケソ寺院(シは小さい字)」です。


ツアソ・ホシケソ寺院?



しかし、これで一つの謎が解けました。昭文社の「トラベルストーリー19 シンガポール2003年版」ではこ
の寺院の事を「シアン福建寺院」と紹介しています。昭文社だけでなく他の出版社でも「シアン福建寺院」
と紹介しているガイドブックがありましたが、その珍妙な「翻訳」の出典はこの案内板だったのです。



ソとンを取り違えるのは台湾や香港でもよくある事なので、「ツアソ・ホシケソ」は「ツアン・ホシケン」
と理解できます。そして日本語に「小さいシ」なんて表記法はないので、「小さいシ」は「小さいツ」の間
違いであると理解できます。ゆえに、この案内板の制作者はシとツを取り違えている。ならば「ツアン」も
「シアン」の間違いだろう、つまり「ツアソ・ホシケソ」は正しくは「シアン・ホッケン」である、と類推
したのでしょう。そして、この寺院が福建系道教寺院であるという予備知識から「ホッケン」は「福建」の
事だと早合点し、「ツアソ・ホシケソ寺院」を「シアン福建寺院」と紹介したと推測します。

しかし、この寺院が福建系道教寺院であるという中途半端な予備知識は捨てて、この看板を素直に上から見
れば、一行目が「Thian Hock Keng」と三つのアルファベットの単語で、二行目が「天福宮」の三文字なら、
「Thian Hock Keng」は「天福宮」の中国語発音をアルファベットで表記したのではないかと思うのが自然で
しょう。実際にそうであって、「Thian Hock Keng」は「天福宮」の福建語読みのアルファベット表記です。

この案内板のように複数の言語で記載された寺院の固有名詞を日本語に翻訳してガイド・ブックに紹介する
場合に、どのように翻訳するのが適切なのか?それにはまず「原文」がどれかを考えなければなりませんが、
この寺院の名称の「原文」は、寺院の門に掲げられている額を見れば「天福宮」である事はあきらかです。

そこで、中国語の固有名詞を日本語で紹介する場合の一例を紹介します。JTBパブリッシングの「るるぶ情
報版 北京2009」に紹介されている北京市内の仏教寺院「雍和宮」の記事の引用です。



このように、中国語の漢字の固有名詞は日本語で音読みするのが普通です。もし、この寺院の中国語発音を
カタカナで表記して「ヨン・ヘーゴン寺院」などと紹介していたら、誰しもが変だと思うでしょう。「天福
宮」を日本語で紹介するなら、そのまま「天福宮(てんふくきゅう)」と漢字と読み仮名で紹介すべきです。
しかし、多くのガイド・ブックのシンガポール編では、「ヨン・ヘーゴン寺院」式の変な紹介記事を載せて
います。「天福宮」はシンガポール最古の道教寺院で国の重要建築物に指定されているそうで、そのような
他国の重要な文化財を変な翻訳で紹介するのは、文化の相互理解の観点からもよろしくないので、この場で
指摘する次第です。

世間には「権威」に弱い人が多く、私がこの場で「天福宮」の名称を「シアン福建寺院」などと「翻訳」す
るのはおかしいと訴えても、ガイド・ブック出版社の活字の権威の前にひれ伏して思考停止してしまい、そ
の翻訳が妥当であるかどうかを自分の頭で考えようともしない人が少なくありません。そのような人々に対
して、なぜ私が「シアン福建寺院」という翻訳が間違っていると考えるかを以下の文章で説明しますので、
すでに私の主張に同意して下さった方は読み飛ばして頂いて結構です。


日本語の漢字発音は、呉音、漢音、唐音の三種類に分類されます。例えば「行」を修行で「ぎょう」と読む
のが呉音、銀行で「こう」と読むのが漢音、行灯で「あん」と読むのが唐音です。呉音は、六朝時代の長江
下流地方の発音が百済経由で日本に入ってきた読み方です。漢音は、遣唐使が唐の長安で学んだ発音を日本
人の耳で聞き取って仮名で表記した発音です。唐音は、それ以降の様々な時代に日本に入ってきた発音で、
唐音の唐は唐朝の意味ではなく中国全般を指して「から」という場合の唐です。王朝名の明や清を「みん」
「しん」と読むのも唐音です。唐音の中でも、平安末期から鎌倉時代に宋や南宋に留学した禅宗の僧侶が学
んで来た発音を特に宋音と言います。現代日本で一般的な漢字の読み方は漢音で、呉音は仏教用語に多く残
り、唐音や宋音は「行脚」「椅子」「暖簾」などの一部の単語に残るだけです。

さて、ここで本題の「ん」と「入声」の問題に入ります。まず、「ん」の発音について説明します。日本人
が「ん」と認識している音は、実は三種類の異なる音が混在しています。例えば、「案外」「案内」「あん
パン」の各単語に含まれる「ん」は、「ng」「n」「m」の発音となります。ですから現代日本語のヘボン式
ローマ字表記では「あんパン」は「am pan」と書くのが正しい綴りです。しかし、日本人の耳はそれら3種
の「ん」を区別できず、同じ音と認識します。「ん」という発音は息を鼻から抜いて出します(その証拠に
鼻を摘むと「ん」と言えなくなる)が、息を鼻から抜くためには口の方から出ていた息を遮断しなければな
りません。その遮断する位置の違いで「ng」「n」「m」になります。すなわち「ng」は舌の根本で遮断し、
「n」は舌先を前歯の根本付近に当てて遮断し、「m」は唇を閉じて遮断します。

唐時代の長安の中国語発音では、「ん」に相当する発音は「ng」「n」「m」の3種類を区別していました。
遣唐使の留学生達は長安で学んできた漢字の発音を日本に伝える時に、「ng」は「い」または「う」に置き
替え、「n」は「ん」、「m」は「む」で表記しました。現代日本語にも「m」の「ん」の痕跡は残っています。
例えば「三位一体」の「三位」は「さんい」ではなく「さんみ」と読みますが、旧仮名遣いでは「三位」は
「さむゐ」と書いていました。「sam」と「i」がリエゾンして「さんみ」となった訳です。現代韓国語では
「ng」「n」「m」の区別を保持していて、例えば「金」は「kim」ですが、日本人は末尾の「m」が発音でき
ないので、母音「u」を付けて「キム」と発音してしまいます。

平安時代の日本人が「ng」「n」「m」を「い or う」「ん」「む」と書いて区別していたのは、貴族の教養
として漢詩を書いていたからです。漢詩では韻を踏む(絶句なら起承結の末尾を同音にする)必要があるの
で、「ng」を「い」や「う」に置き換えるような不自然な事をしてでも、3種類の「ん」を区別しようとし
たのです。ちゃんと韻が踏めていないと、外国人に漢詩を披露した時に恥を書きますから。しかし鎌倉時代
になると見栄を張って漢詩を書くような事はしなくなったので、「ng」も日本人が耳で聞いた通りの発音で
「ん」と表記するようになりました。それで「行」は宋音では「あん」と読みます。

一方、現代中国語では、広東語や福建語などの南方方言は、現在も「ng」「n」「m」の三種類を区別してい
ますが、現代中国の標準語である北京語は、「m」が「n」に統合され、「n」と「ng」の二種類になってしま
いました。現代日本語も末尾が「n」と「m」だった漢字は「ん」と読むので、現代北京語と現代日本語では、
北京語で末尾が「n」の漢字は日本語でも末尾が「ん」で、北京語で末尾が「ng」の漢字は日本語では末尾が
「い」か「う」となる対応関係が生じました。例えば「宮」の字は、北京語では「gong」と発音しますが、
日本語の漢音では「きゅう」で末尾は「う」となります。

「ん」の「m」と並んで、唐時代には存在したが現代北京語では失われた発音に「入声」があります。入声
とは末尾が子音で終わる発音で、これにも「k」「t」「p」の三種類がありました。「子音で終わる」とは、
その前に発声していた母音をこれら三種類の子音で断ち切る訳ですが、「k」「t」「p」の三種類の発音が
母音を断ち切る場所は、舌の根本、舌先、唇、で、「ng」「n」「m」が口側の息を遮るのと同じ場所です。
日本人は子音で終わる音が発音できないので、入声は母音を付けて発音しました。例えば「福」は「k」の
入声で終わる漢字でしたが、母音の「u」を付けて「フク」と発音しました。これは、明治時代に英語から
inkという単語が入ってきた時に、インクと発音したのと同じです。入声は現代北京語では完全に消えまし
たが、広東語や福建語などの南方方言には残っています。そのため、漢字発音に関しては、北京語よりも
広東語や福建語の方が現代日本語の漢音に近い場合が多いです。tの入声の漢字としては「鉄」「失」など
があります。pの入声の漢字は「蝶」「十」があります。旧仮名遣いでは、「蝶」「十」は「てふ」「じふ」
と書いていました。そして、ハ行の発音を奈良時代以前の日本語ではp音で発音していたのです。広東語に
は現在でも「ng」「n」「m」の「ん」と「k」「t」「p」の入声が残っています。「三十」の発音は「sam
sap」なので香港で買い物をして値段が30ドルだったら、店員の値段の発音を注意して聞いてみて下さい。
なお、台湾語(おそらく福建語も)の入声には、声門で閉じる「h」が加わり4種類が存在しますが、「h」
の入声は後ろの発音との組み合わせで消える場合があり、また声調変化の規則の点でも他の三種とは性質が
少し異なります。

北京語にはピンインというアルファベット表記法がありますが、これは中国政府が定めた全国統一の表記法
です。しかし、方言のアルファベット表記法に統一の表記法というものはなく、極端に言えば方言学者の数
だけの表記法があります。例えば、天福宮と道路を隔てた対面にあるシンガポール福建会館の石碑では「福
建」に該当する綴りは「Hokkien」で、福は「hok」となっていますが、「天福宮」の案内板では「福」に該
当するアルファベットの綴りは「Hock」です。後者は「lock」「sock」などの英単語の綴りの影響で「c」が
付いたもので、その発音に違いはないと推測します。しかし「Thian Hock Keng」と「Hokkien」の末尾の「n」
と「ng」の違いは無視できません。北京語でも福建語でも「n」と「ng」が違えば別の漢字になるからです。


シンガポール福建会館



以上の基礎知識をふまえた上で天福宮前の案内板を見れば、一行目の「Thian Hock Keng」と二行目の「天福
宮」の対応関係に気付くはずです。念のため「中国語方言のページ」の「中国語方言字音データベース」で、
「天福宮」の三文字の発音を確認します。このデータベースには残念ながら福建語の発音が載っていないの
で、同系統の台湾語で代替します。福建語を台湾語で代替してよいのかという疑問に対しては、私の持って
いる台湾語入門書「エクスプレス台湾語 村上嘉英著 白水社」の「台湾語とは?」の章から次の説明を引
用します。「台湾は福建と海峡を隔てて、長期にわたり大陸と異なった歴史の道を歩み…台湾語も…福建で
通用する「ビン南語」とは違う面を持つようになりました。しかし、それは主として語彙の面であって、文
法や音韻の根幹はほとんど違いません」

  日本語 北京語 台湾語
天 テン  tian1  thian1
福 フク  fu2   hok4
宮 キュウ gong1  keng1

「天福宮」の台湾語発音は「thian hok keng」となります。なお、アルファベットの後ろの数字は声調番号
ですので無視しました。案内板の「Thian Hock Keng」は「天福宮」の福建語発音のアルファベット表記で
あり「シアン福建」と訳すのは誤りであるという、私の主張をご理解頂けたと思います。


最後に、案内板の「ツアソ・ホシケソ寺院」という珍妙な日本語表示の原因を推理します。そのためには、
日本語部分が原稿段階でどうであったかという点と、案内板制作業者の誤植に分けて考えるべきです。私は、
日本語部分の原稿は「シアン・ホッケン寺院」であったと推理します。それを日本語を知らない案内板制作
業者が「シ」と「ツ」、「ン」と「ソ」を取り違えて誤植したのでしょう。その手の誤植は台湾や香港でも
いくらでも目にする事で、珍しい事ではありません。では、原稿段階で「シアン・ホッケン寺院」であった
と推理する根拠は何か。それを考えるには案内板の日本語翻訳者の人物像から推理する必要があります。

街の案内板という公共物の日本語部分の翻訳を依頼された人物は、シンガポール社会で日本語の専門家とし
て認められた人物と推測されます。例えばシンガポール大学外国語学部日本語科教授とか。しかし、現地で
最も日本語に精通しているのは、当然の事ですがシンガポール在住日本人です。仮に、日本のある街で案内
表示に英語表記を加える事になった時、日本在住の英語を母語とする外国人に原稿を依頼し、その外国人も
自分の住んでいる街のために一肌脱ごうとボランティアで引き受けるという話はあり得るでしょう。シンガ
ポールには2万人以上の日本人が住んでいるそうなので、同じような話がある事は十分に考えられます。し
かし、その話を引き受けた日本人は英語はできる人なのでしょうが、中国語の知識は欠けていたようです。
だから「n」と「ng」の違いに気が付かずに「Hock Keng」は「福建」の事と早合点し、「Thian」と「 Hock
Keng」の間に区切りの「・」を入れたのでしょう。

この区切りの点の存在が、私がこの案内板の日本語表記の翻訳者が日本人だと推理する理由です。もし翻訳
者が華僑系シンガポール人なら、こんな所で区切るはずありません。区切りを入れるとしても「天福・宮」
と区切るはずです。ここに区切りを入れたと言う事は「Hock Keng」を一つの単語だと解釈した訳ですが、日
本人なら「ふっけん」と発音が似ているので「Hock Keng」を「福建」の事と早合点しても不思議ではありま
せん。また「n」と「ng」の区別に無頓着で、「 Hock Keng」と「Hokkien」の違いに気づいていないのも、
日本人と推測する理由です。もしマレー系あるいはインド系シンガポール人なら、日本人より英語は遙かに
堪能しょうが、英語も「n」と「ng」は区別しているので「 Hock Keng」と「Hokkien」を混同する事はない
はずです。ただ、翻訳した日本人も「 Hock Keng」と「Hokkien」の違いには気づいていたかもしれません。
それが少々気になって「 Hock Keng」に「福建」の漢字を当てる事は躊躇した可能性はあります。そして、
残りの「Thian」は英単語の「think」から連想して「シアン」と読み、「シアン・ホッケン寺院」という珍
妙な翻訳が出来あがったと推理します。

次に「天(Thian)」の福建語発音を考えます。まず子音の「th」ですが、北京語のピンイン表記では「天」
は「tian」で「h」がありません。ピンイン表記では子音の次の「h」は「反り舌音」を示しており、shやch
やzhという子音はありますが、「th」という子音はありません。また「t」の発音は有気音で、無気音は「d」
で表記します。一方、前述の台湾語入門書によると、台湾語では「t」が無気音、「th」が有気音でした。ゆ
えに台湾語(福建語)の「th」≒北京語の「t」となります。それから母音の「ian」ですが、北京語では
「i」と「n」に挟まれた「a」の発音は「ア」から「エ」に変わる、という規則があります。「a」は口を大
きく開いて発音しますが、口の開きの小さい「i」と「n」に挟まれて「a」の口の開きも小さくなる結果、実
際の発音が「ア」から「エ」に変化してしまいます。これは口の動きのフィジカルな制限による変化なので
他の方言も同様と思いますが、念のため台湾語の入門書を確認すると、やはり台湾語でも「ian」の発音は
「イエン」でした。従って「Thian」の発音を片仮名で表現すれば「ティエン」となります。

案内板の翻訳者は、iとnに挟まれたaの発音は「エ」になるという中国語発音の特徴を知らず、ましてや福建
語発音の無気と有気の区別など知るよしもなく、「Thian」を英単語の「think」の連想から「シアン」と読
み、「 Hock Keng」は福建の事と早合点してシアンとホッケンの間に点を入れ(しかし推測である事を自覚
してか、漢字の「福建」に置き換える事は躊躇したのかも)、「シアン・ホッケン寺院」という日本語訳を
手原稿で提出したと推理します。それを日本語はまったく知らないシンガポール人の案内板制作業者が日本
語フォントの中から形の似た字を拾い出し「ツアソ・ホシケソ寺院(シは小さい字)」という案内板が出来
上がったのでしょう。さらに、それを見たガイドブックの編集者が、翻訳者と同様に「ホシケソ」は福建の
事と思いこんで、せっかく案内板翻訳者が思いと留まった一線を踏み越えて漢字の「福建」を当て、ツとシ
を入れ替えて「ツアソ」を「シアン」に変え(この誤植の修整は合っていて、案内板翻訳者の原稿に戻る)、
冒頭で紹介した「シアン福建寺院」という記事になったと推理します。

どのガイドブック出版社も、シンガポール編だけではなく中国編も出しています。つまり編集部には中国語
に詳しいスタッフもいるはずです。シンガポール編の担当者は現地で天福宮を取材して「ツアソ・ホシケソ
寺院」の案内板の写真を撮ってきたなら、なぜ中国編担当の同僚に「この案内板ちょっと変なんだけど、こ
の寺院の正しい名前はなんだと思う?」と聞かなかったのでしょう。相談すれば中国編担当者は「これは天
福宮の福建語読みだよ。ツアソ・ホシケソなんて大間違い」と教えてくれるはずです。シンガポール編の担
当者は英語が得意で英語圏諸国の担当を任されているのでしょうが、社内に英語派と中国語派の派閥があっ
て気軽に相談できる雰囲気ではないのでしょうか。いや、ガイドブック出版社はどこも出版業界では小さな
会社(失礼)ですから、派閥争いなんかなくて和気あいあいとしていると思います。シンガポール編担当者
に物事の真理を追求するジャーナリズム精神に欠け、現地の公共の案内板の権威にひれ伏して思考停止し、
「ツアソ・ホシケソ」の誤植の訂正は思いついても、その翻訳自体が根本的に間違っている事など想定外で、
中国編担当者に相談する事など思い付きもしなかったのでしょうか。

しかし各ガイドブック出版社が「シアン福建寺院」と紹介したせいか、この間違った翻訳が日本社会に相当
に広まっており、「シアン福建寺院」をネットで検索するとぞろぞろとヒットします。るるぶのサイトでは
「船乗りの守護神シアン ホッケンが祭られている」と、シアン ホッケンを神様の名前にしています。確か
に、この寺院のご本尊「媽祖」は航海の守神ですが、シンガポールの華僑の間では媽祖の別名がシアン ホッ
ケン、すなわち「天福宮」だと言う事でしょうか?媽祖の別称は「天后」なので、中国各地には「天后宮」
という名称の媽祖を祀った寺院はよくありますが…?


るるぶのサイト



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