定陵&八達嶺長城観光バスツアー  2007年 8月 13日




四日目は、現地バス会社の一日ツアーに参加して、八達嶺と定陵を観光してきました。北京近郊で万里の長城
を見学できる場所は何カ所かありますが、八達嶺はロープウェイやスライダー(滑車)が開通しており足腰の
弱い者でも登れるので、長城の観光地として有名です。北京市街から八達嶺へ向かう途中には、明朝歴代皇帝
の墓が集まる「明の十三陵」があり、定陵は地下宮殿で有名です。今回ツアーを申し込んだバス会社は、天安
門広場の南西の角から道路を渡った所にある「北京旅遊集散中心」です。八達嶺のみの半日ツアーもありまし
たが、私は定陵と八達嶺を巡る一日ツアーに参加しました。

北京到着初日に天安門広場まで歩いた時は、前門東大街の南側の胡同界隈の路地を突き抜けて行きましたが、
この日は前門東大街の北側の道を歩きました。街路樹が生い茂って、なかなか風情のある通りでした。後で地
図を調べると、東交民巷という名前です。


東交民巷 東交民巷


東交民巷は、西へ進むにつれ通りの雰囲気が変わってきました。北京市政府庁舎がこの近くにあるためか、警
備の警官が立つようになります。やがて、何かの店の前に集まる貧しい身なりの集団がおり、警官が遠巻きに
監視しています。店の看板を見ると、法律事務所(代書屋?)のよう。さらに進むと裁判所がありました。彼
らは何かの訴訟を起こすべく田舎から上京した集団なのでしょうか。警官の目があるのでカメラを向けるのは
憚られました。


北京旅遊集散中心、天安門発車中心
北京旅遊集散中心、天安門発車中心


ここに辿り着くまでに天安門広場の南端を通る訳ですが、そこには屋台というか仮設キオスクというか多くの
売店が並んでおり、長城バス・ツアーの案内ポスターを掲げています。いろんなバス会社がツアーを運営して
いて、これらの売店は代理店になっていると思われます。しかし、それらのツアー・バスの発車場所は、どこ
か遠いところかもしれません。北京旅遊集散中心の天安門発車中心は目と鼻の先なのですから、長城ツアー参
加が目的で天安門広場まで来た人は、これらの売店に惑わされないでください。

上の写真は天安門広場南西端から道路越しに北京旅遊集散中心を見たもので、建物の手前が券売所(售票庁)、
奥が待合室となっています。定陵&八達嶺観光のAコースは160元(約2500円)、発車時刻は6:00〜10:30だっ
たと記憶します。所要時間は約7時間で、昼食付きです。券を買うと、乗車券とともに八達嶺の入場券も渡さ
れますが、定陵の入場券は付いていません。券売員が間違えたのかと思いましたが、これは定陵入場について
はバス会社と定陵管理当局の間に話しがついていて、ツアー客は券なしで入場できるからでした。私が天安門
発車中心に到着したのは9時半頃ですが、搭乗できたのは10:30発のその日最後のバスでした。


待合室には電光掲示板の表示はなく、ツアー・バスが発車する時には中国語で早口のアナウンスがあり、その
バスに搭乗する客は一斉に席を立ってバスへ向かいます。私の中国語力ではその早口を聞き取るだけの聴力が
ないのですが、待合室の地元客を見ると乗車券を手に持ちながら待っている人が多く、私と同じ券を持ってい
る人を何人か捜して、彼らが席を立ったら付いていく作戦にしました。


北京旅遊集散中心のツアー・バス
北京旅遊集散中心のツアー・バス


新しい綺麗なバスです。


車内風景
車内風景<


作戦成功、無事ツアー・バスに乗り込めました。私は後部の左側の窓側の席に座りました。後で気づいたので
すが、バスは北京市から八達嶺までほぼ北西方向に進みます。10時半発ですと太陽はほぼ南側に回っており、
バスの左側を照らします。8月に直射日光は辛いのでカーテンを閉めますが、すると車窓の眺めを見えない。
夏は右側の窓際に座るべきでした。帰路は逆になりますが、疲れているので眺めを見る気はしません。


車窓撃破装置
車窓撃破装置


台湾「花蓮 台北」のページの最後の方でも紹介した車窓撃破装置がここにも!しかし、肝心のハンマーがあ
りません。盗まれたのか、盗まれるから最初から装備していないのか。


ツアーご一行
ツアーご一行<


定陵到着後、そこの食堂に入って昼食を取りました。外国人は欧米人男性2名と若い日本人女性と私の4名で、
後は中国の人々です。


昼食
昼食


真ん中の煮魚がメイン・ディッシュなのですが、背中付近の肉を取ると小骨が多いので、私はパスしました。
他の人々も食べようとせず、ほとんど手つかずで残してしまいました。中国人は魚が嫌いなのでしょうか。


ガイドさん
ガイドさん


本ツアーのガイドさん。べっぴんさんです。定陵および八達嶺の入口まで客を連れてきて解散、出発時刻まで
自由見学、発車時刻に戻ってきた客の人数を確認して出発します。人数確認の為、出発時に座った席を換わっ
てはいけないようです。中国語で説明があったのか中国人客はみんな元の座席に戻っていましたが、欧米人客
が出発時と異なる席に座ろうとして、元に戻るよう注意していました。外人客には解散時に集合時刻を片言英
語で説明てくれましたし、食堂から出遅れた外国人客を探しに戻るなど、職務熱心なガイドさんでした。


十三陵博物館
十三陵博物館


食事後、定陵観光開始ですが、十三陵博物館は素通りしました。


十三陵分布図
十三陵分布図


奥の山裾の左手にあるのが定陵です。すると手前に並ぶ幾つもの門をバスは通ったはずですが、記憶にありま
せん。明の十三陵に関する解説のサイトはこちらです。


定陵博物館
定陵博物館


定陵全体が博物館になっています。この門に入ってから解散、自由見学となります。


定陵遊覧図
定陵遊覧図


定陵は大峪山東麓に位置する、明朝第13代皇帝「朱翊鈞」と二人の皇后の合葬陵墓である。朱翊鈞(1563〜1620)
は、年号万歴、廟名神宗、10歳で即位し在位48年、享年58歳、定陵は万暦12年(1584)11月に建設を始め18年6
月に完成。6年の歳月を要した。18万平方米の土地を占める。

ちなみに、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が1592〜1598ですから、その当時に朝鮮に援軍を送った明の皇
帝がここに眠る万暦帝(朱翊鈞)です。万暦帝は、日本の歴史学では明の第14代皇帝と認識されていますが、
この案内板では13代となっています。これは間違いではなくて、第2代建文帝を認めるか認めないかという歴
史学上の立場の違いでしょう。


定陵模型
定陵模型


展示室にあった定陵の模型です。全体像はこんな感じです。


神功聖徳碑
神功聖徳碑


「神功聖徳碑」はこの石碑の固有名詞ではなく、このような様式の石碑を意味する一般名詞です。つまり、明
・清時代の他の皇帝陵にも亀の背中に乗った同じような石碑があります。


石碑を支える亀
石碑を支える亀


石碑には碑文が刻まれていません。風雨で摩耗したのではなく、最初から刻まれていないそうです。明の初代
洪武帝は、「皇帝陵の碑文は次代皇帝が考えるべし」という遺言を残したのですが、暗愚な皇帝が碑文を考え
るのが面倒で白紙の石碑を建て、暗愚な皇帝が続いた為に皆、前例を踏襲した、という嘘のような話です。


明楼
明楼


「定陵」という額が掛かっているので、この建物の名前が定陵と思っていたのですが、よくよく考えれば定陵
は陵墓全体の名称です。先の案内板を見ると、「明楼」という名前でした。この建物の固有名詞ではなく、こ
の種の様式の建築物の一般名詞のようです。


地下宮殿1
地下宮殿1


地下宮殿2
地下宮殿2


地下宮殿3
地下宮殿3


もし目隠しして連れて来られたら、作りが綺麗過ぎて、コンクリート建築の地下室と思ってしまうでしょう。
この地下宮殿は日本で言えば安土桃山時代に建てられたもので、当時の日本の石造土木建築を代表するのは城
郭の石垣ですが、石造土木建築技術では明の方が遙かに上です。


地下宮殿出口
地下宮殿出口


入口の方は階段で、地下五階分くらいを降りたので、エレベーターはないだろうから帰りは大変だな、と思っ
ていたのですが、出口は階段ではなくスロープで、あっさりと地上に出る事ができました。


明楼の後ろ側
明楼の後ろ側


建物の中心に石碑が建っているのが見えます。


明楼内部の石碑
明楼内部の石碑


3文字目が不鮮明ですが、「神宗顯皇帝之陵」と書いてあるようです。


明楼から参道を望む
明楼から参道を望む


十三陵配置図から言うと、この先の左手の山麓に他の皇帝の陵墓が並んでいるはずです。

定陵を2時間ほど見学してバスに戻り、ツアー・バスは八達嶺長城へ向かいました。


バスは、日本の高速道路のサービス・エリアみたいな造りの建物の駐車場に停車しました。バスが連れて行っ
てくれるのはここまでで、乗客は2時間の自由時間の間に各自自力で長城に登ります。たくさんの売店が入居
する建物の前に、「滑車」という乗り物の券売所の小屋があり、他の乗客はバスから降りるとこの券売所の列
に並んでいます。私も上りは滑車を利用する事にしました。券は買いましたが乗り場がわからず、この売店の
建物の向こう側かと思って建物の中に入りました。すると、若い女性が息せき切って私を追いかけて来て、建
物の外に連れ戻しました。Tシャツの制服の文字を見ると、この公園の案内係の人のようで、券売所から更に
坂道を上ったところにある滑車乗場まで、私を連れて行ってくれました。


熊楽園
熊楽園


滑車乗場の手前で唐突に現れたのが、この熊楽園です。戯れる熊たちの姿を無料で公開していましたが、この
施設は何の営業収入で成り立っているのか謎です。中華高級食材の熊の掌や漢方薬の熊の肝をお土産に売って
いるのでしょうか。


滑車乗場
滑車乗場


滑車乗場にようやく辿り着きました。動画頁北京編3も見てください。


滑車
滑車


到着駅で降りた後に撮った写真です。原理はジェット・コースターが最初の上り坂を登る時と一緒で、一定速
度で動いている軌道下のチェーンに引っ張られて登ります。万一、滑車がチェーンから外れた時、滑車を引っ
かけて止める為のフックが、軌道側に数メートル間隔で配置されていますが、よく見ると半数は壊れていまし
た。

滑車の到着駅は北四楼にあり、滑車の下車口=長城の入場口となっており、バスの切符を買った時一緒に貰っ
た長城の入場券が、ここで必要になります。


万里の長城(北楼側)
万里の長城(北楼側)


う〜ん、人が多い。思うように先へ進めません。その間も、滑車の到着駅からは次々と人がはき出されて来ま
す。


万里の長城(北楼側)
万里の長城(北楼側)


ロープウェイの発着しているのが北七楼ですが、北四楼から城壁の上を辿ってくると、ここで行き止まりとなっ
ていました。探せば、向こうへ抜ける道があるのかもしれませんが、時間もないので引き返す事にします。


万里の長城(北楼側)
万里の長城(北楼側)


下りは歩いて帰ります。


長城の内壁
長城の内壁


城壁の下に降りて歩けるところもあります。城壁の素材は焼き煉瓦の「磚」です。


万里の長城(北楼側)
万里の長城(北楼側)


更に長城を下っていくと建物が見えてきました。徒歩客の出入口である関城はもうすぐのようです。


関城より南楼を望む
関城より南楼を望む


滑車やロープウェイを使わず徒歩で登る客の入場口である関城です。長城は、ここを基点に北楼と南楼に分か
れます。上の写真に写っているのは南楼側です。


案内板
案内板


北四楼まで滑車で上り、徒歩で北七楼の見えるところまで行って、そこから徒歩で関城まで戻った訳です。


万里の長城(南楼側)
万里の長城(南楼側)


南楼は空いていました。混んでいる北楼より、南楼を自分の足で登った方が良かったと思いました。


居庸関長城の関城
居庸関


居庸関長城は、いわゆる万里の長城の内側に設けられた、首都防衛の為の絶対防衛線です。八達嶺へ行く高速
道路が居庸関長城の関城の横を走っており、帰りのバスの車窓から一瞬のシャッター・チャンスを狙って撮り
ました。しかしポールが邪魔です。「天下第一雄関」の額がポールに隠れなかったのが不幸中の幸いです。


シンデレラ城?
シンデレラ城?


北京と八達嶺の中間あたり、帰りだとバスの左手方向に建設中の遊園地を発見。


建設放棄?
建設放棄?


しかし、建設中にしてはクレーンや作業員が見あたりません。建設途中で遊園地会社が倒産し、放棄されてし
まったのでしょうか。





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