澳門(マカオ) 1  2003年 11月 22日、2005年 5月 2日


2003年11月1日〜7日と2005年5月1日〜6日の2度の香港旅行中に、それぞれ日帰りでマカオ(中国語では澳門)
へ行ってきました。足かけ2年の澳門探索をまとめて報告します。

マカオ情報は市販の香港のガイド・ブックにも載っていますが、その内容はおまけ程度のものであり、マカオ
政府観光庁の「マカオ散策ガイド」の方が充実しています。その中に地図が載っているので参考にして下さい。

香港からマカオへのフェリーは、尖沙咀の中港城と上環のマカオ・フェリー・ターミナルから出ています。中
港城は、九龍公園東側の広東路沿いにあり、ロイヤル・パシフィック・ホテル(皇家太平洋酒店)と同じビル
にあります。ビル上層のタワー部がホテルで、基部がターミナルです。基部の屋上(ホテルの一階?)と九龍
公園は陸橋で結ばれています。地下鉄尖沙咀駅から行くなら、広東路に出て北上します。九龍公園と陸橋で繋
がっているビルが中港城です。上環のマカオ・フェリー・ターミナルは、地下鉄上環駅を降りてすぐの海側に
あります。ターミナルは柱や梁を赤く塗った目立つビルです。

初心者の方は、たとえ尖沙咀側のホテルに泊まっていたとしても、上環のフェリーを利用する事をお勧めしま
す。上環の方が便数が多いという事もありますが、それよりも重要な事は、上環がほとんどマカオ行きフェリー
専用(朝に深 土川 行きの便もあるようですが)の埠頭なのに対して、中港城は朱江デルタ各地行きの船便が
出る事です。中港城を利用する客は、電光掲示板やアナウンスに注意して、自分の乗る便の停泊している埠頭
の番号と乗船開始時刻を認識しなければなりません。

マカオから香港への帰りの便も、九龍行き(中港城)と香港島行き(上環)があります。船会社が違うので、
チケットの窓口は別になっています。買い間違えないよう注意が必要です。

中港城−マカオ便を運行しているファースト・フェリー(新世界第一渡輪)のサイトはこちら。「航班時刻表
及収費表」をクリックし、右上の「澳門線」をクリックします。
上環−マカオ便を運行しているターボ・ジェット(噴射飛航)のサイトはこちら。左上の服務航線にカーソル
を合わせ「船期表/価格表」をクリックします。

それから、香港国際空港からマカオへ直行するフェリーが一日4便出ています。航空機と同格の国際便フェリー
なので、手続きは航空機の乗り換えと同様であり、入国審査はマカオ到着後となります。航空機と時刻が合え
ば利用価値があると思います。

2003年11月22日に、私は中港城からフェリーに乗ってマカオに付きました。この時、私はマカオをペロペロッ
とナメにナメ切っておりました。ガイド・ブック(JTB ワールド・ガイド 香港・マカオ '03〜'04)の地図に
載っていたフェリー・ターミナル近くの八百半が一区画全部を占めているので、この一区画がデパートのビル
一つなら、フェリー乗り場からセナド広場まですぐぢぁないか、半島を一周するのも楽勝、と思ったのです。
しかし、フェリー乗り場から八百半デパートにたどり着いて騙された事に気づきました。地図では一区画の全
てを占めている八百半のビルは、実際にはその区画の1/4くらいの角地に建っていたのです。マカオ一周計
画は諦め、半島の南側から時計回りで行ける所まで行ってみる事にしました。


マカオのフェリー・ターミナルから南西方向にホテル・リスボアへ向かって伸びる大通りが友誼大馬路で、マ
カオ・グランプリではコースに設定されています。私の一回目のマカオ訪問はマカオ・グランプリ(11月の第
3週だそうです)の寸前だったので、レース用のガード・フェンスが張り巡らされていました。

下の写真の陸橋に「macam 2005」という横断幕が掲げられていますが、この写真を撮影したのは2003年11月2日
です。この横断幕は、東アジア競技大会2005年マカオ大会の宣伝です。2001年大会は大阪だったそうですが、
そんなスポーツ大会があったとは知りませんでした。ちなみに2009年は香港大会だそうです。


友誼大馬路
友誼大馬路


友誼大馬路の海側の地区(上の写真では左側)は、地図でみても道路が碁盤の目になっており、新しく造成さ
れた土地だと判りますが、2003年11月当時は、香港返還時のバブル景気が崩壊した後で、この区画には建設中
のまま放置されたビルが軒を連ねていました。建設途中で会社が倒産したか、資金が途絶えたのでしょう。今
はマカオの景気も持ち直したそうなので、これらのビルも工事が再開されて完成しているかもしれません。


建設中のビル
建設中のビル


友誼大馬路の陸側の地区は「新口岸」という地名のようですが、古びた「新市街地区」と言ったところです。
ビルの谷間は昼間でも薄暗く、すぐそこの路地からマフィアが飛び出してきてピストルをぶっ放しそうな雰囲
気です。女性の散策はお勧めできません。私がこのような場末に入り込んだのは、ガイド・ブックに載ってい
たポルトガル料理のレストランが目当てでした。下の写真の右手にある黄色い旗を掲げた店、新口岸葡國餐廰
です。


新口岸葡國餐廰
新口岸葡國餐廰


当時は、マカオ料理の代表が「アフリカン・チキン」とは知らず、鴨ドリアと海鮮スープを食べました。


鴨ドリアと海鮮スープ
鴨ドリアと海鮮スープ


友誼大馬路を進んで、ホテル・リスボア前に出ます。ここで、右へ曲がればセナド広場まですぐなのですが、
マカオ半島最南端を目指しました。


ホテル・リスボア
ホテル・リスボア


下の写真は帰り際に撮った夜のリスボアです。「葡京」とはポルトガルの都という意味で、リスボンの意訳で
すね。


カジノ・リスボア
カジノ・リスボア




マカオ政庁(旧総督府)
マカオ政庁(旧総督府)


ガイド・ブック等のこの手の建物の紹介で使われる「コロニアル様式」の意味を調べると、「17〜18世紀にイ
ギリス・スペイン・オランダなどの植民地に発達した建築・工芸の様式。本国の様式を模倣し、植民地向けの
実用性を加味したもの」(大辞泉)だそうです。本国の様式を完璧に模倣したら、その様式名で呼ばれるはず
で、「植民地向けの実用性」というところがミソですな。

この建物の場合、2階の窓の位置を奥に下げて、窓を開けても陽射しを避けられるようにしていることろが、
南国向けの実用性かと思いますがどうでしょう。1階はどうなるんだ、という反論が出るかもしれませんが、
2階はエラい人の部屋で、1階は下っ端の部屋なんでしょう。


マカオ・タイパ大橋
マカオ・タイパ大橋


ガイド・ブックによると、11番のバスに乗るとタイパ島へ行けるようです。次のマカオ旅行では挑戦したいと
思います。


マカオ・タワー
マカオ・タワー


高さは338メートルだそうで、東京タワーに勝つ事を目標にしたようです。しかし、朱江デルタ地区はいつも
スモッグで薄ぼんやりしているので、登っても視界は悪いと思います。朱江デルタ地区がカラッと快晴になる
季節はあるのでしょうか。

マカオ・タワーを左手に見つつ半島東岸を南下し、南端を回り込んで西岸を北上。海事博物館で休息を兼ねて
参観。さらに西岸を北上し、途中で陸側の路地に入ってセナド広場を目指しました。マカオ半島の南端まで行っ
たのだから、証拠の記念写真を撮ってくるべきでしたが、気力体力の衰えで、そこまで気が付きませんでした。


セナド広場1
セナド広場1


ようやく、マカオ観光の白眉、セナド広場にたどり着きました。ホテル・リスボア前の交差点で右に曲がればよ
いものを、遠回りして得た収穫は海事博物館の参観だけでした。


セナド広場2
セナド広場2


セナド広場3
セナド広場3


セナド広場4
セナド広場4


帰り際に撮った夜のセナド広場の写真です。夜の風景も一見の価値ありです。


夜のセナド広場1
夜のセナド広場2


夜のセナド広場2
夜のセナド広場2


セナド広場を奥に進んで聖パウロ天主堂跡を目指しました。


聖ドミニコ教会
聖ドミニコ教会


セナド広場から聖パウロ天主堂跡へは、人の流れに付いていけばたどり着けますが、途中でこの教会があれば
道を間違えていないので、安心してください。


聖パウロ天主堂跡の階段
聖パウロ天主堂跡の階段


聖パウロ天主堂跡のファサード上部
聖パウロ天主堂跡のファサード上部


鳩を出す手品師?
鳩を出す手品師?


聖パウロ天主堂跡の裏側
聖パウロ天主堂跡の裏側


天主堂跡のファサードを画面一杯に納めた写真がない事にお気づきでしょうか。実は、撮ってはいるのですが、
左下端に見知らぬ観光客のおばさんの顔が。通行人として無視するには存在感がありすぎ。(;。;)ファサード
のアップの写真は次回の宿題です。


モンテの砦
モンテの砦


モンテの砦に着いた頃はもう夕暮れでした。ここで帰る事にしたのですが、来た道を戻ればいいものを、セナ
ド広場まで近道をしようとしました。が、砦の周囲は坂道で、方向感を失って道に迷ってしまいました。


夜のマカオ市街1
夜のマカオ市街1


迷子の途中で、非常に幻想的な夜景の通りに出ました。内心は半泣きでしたが、しっかり写真は撮りました。


夜のマカオ市街2
夜のマカオ市街2


さまよっているうちに、石畳がモザイク模様の通りに出ました。モザイク模様の道を進んでいくと、案の定、
セナド広場に出る事ができました。そして撮ったのが、先に紹介したセナド広場の夜景の写真です。

セナド広場からホテル・リスボア前を通過し、フェリー・ターミナルへ向かって羅理基博士大馬路を歩いてい
る時、「鼎泰豊」を見つけ、小籠包を食べました。しかし、鼎泰豊のサイトを見ても澳門店はありませんね。


鼎泰豊澳門店?
鼎泰豊澳門店?


ここで第一回のマカオ訪問を終え、フェリーで香港へ戻りました。後で地図を見ると8kmは歩いたでしょうか。
最初からセナド広場に直行すれば良かったものを。非常に悔いの残る第一回マカオ訪問でした。





続いて、2005年5月2日の第二回マカオ旅行です。今回は、徒歩でマカオ一周などと大それた事は考えず、路線
バスも有効に利用する所存でした。まず、フェリー・ターミナルから3番のバスに乗り、セナド広場に向かい
前回の旅の終着点であるモンテの砦を目指しました。


鉅記餅家第八分店
鉅記餅家第八分店


聖パウロ天主堂跡の門前町にあるマカオ銘菓「鉅記餅家」の第八分店です。この写真を撮っている位置の左後
にも第五分店があります。私が通りかかった時、店頭で試食用のお菓子を配っており、食べてみると美味かっ
たので、当時の職場向けのお土産をこの店で買いました。マカオには老舗が他にもあるかもしれませんが、こ
の店の特徴は、何と言ってもその立地の良さであり、上のアングルの写真を撮るとともに、お土産を買って帰
れば、マカオの事を知らない人にも、「マカオ土産」である事を知らしめる事ができます。(^_^;

ところで、2003年のマカオ旅行で向こうに見える聖パウロ天主堂のファサードを画面一杯に納めた写真が、見
知らぬおばさんの顔が端っこに入ってしまった失敗写真だった訳ですが、その事に気付いたのはこのサイトを
立ち上げようと過去の旅行で撮った写真をチェックしている時でした。2005年のこの旅行の時点では、その事
にはまだ気づいておらず、向こうに見える聖パウロ天主堂跡の写真は、前回の旅行で撮影済みと思いこんで、
新たに撮る事はしませんでした。旅行で撮ってきた写真は、帰国後にちゃんとチェックしておくもんでした。


再びモンテの砦
再びモンテの砦


モンテの砦の中にはマカオ博物館が開館しており、上の写真で左端に写っているのが博物館の建物です。休息
を兼ねて博物館を参観するのもよいでしょう。


モンテの砦より北方のマカオ市街を見る
モンテの砦より北方のマカオ市街を見る


今回の旅では、この市街の中を徒歩で市内の名所を巡りつつ、マカオ半島の付け根にある朱海市との境界を目
指す事にしました。


街灯のある路地
街灯のある路地


モンテの砦から市街地へ向かう下り坂です。夜ともなれば街灯が点って、2003年の道に迷った時に撮った夜景
になる事でしょう。でも昼に撮るとあまり綺麗な街並みではないですね。


聖ミカエル教会
聖ミカエル教会


現存するポルトガル教会建築の中では最も保存状況が良い建物だそうですが、周囲は墓地で観光客がうろうろ
する所ではないと思い、写真だけ撮って撤収しました。


廬廉若花園1
廬廉若花園1


賭博場で財を築いた廬一族の建てた中国庭園だそうです。


廬廉若花園2
廬廉若花園2




観音堂
観音堂


香港と同じく広東式の「渦巻き線香」が天井から吊されて、モクモクと煙っていました。


観音堂内部
観音堂内部




蓮峯廟
蓮峯廟


こちらも仏教寺院だそうですが、帰国してガイド・ブックや「マカオ散策ガイド」を見ても、何の仏様を祀っ
ている寺院なのか判りません。中国仏教は観音信仰が中心だとは思うのですが、観音堂は近所にもあるし。


関閘辺検大楼
関閘辺検大楼

スタンプ・ラリーよろしく、マカオ半島北部に点在する名所旧跡を足早に訪問して写真に納めつつ、半島の付
け根にある関閘辺検大楼にたどり着きました。着いてみるとゴロゴロという尋常ならざる騒音に取り囲まれま
した。マカオから中国へ入境しようとする人たちの荷物を運ぶキャリーの車輪が、石畳の上を通る時に発する
音です。これらの人々、どう見ても「お土産を持つ観光客」ではなくて「運び屋」と思われます。誰もが同じ
大きさの段ボール箱を持っているのは、一人あたりの持ち込み制限が、その大きさだからと推測されます。

着いてみて気力体力が残っていれば、ゲートを通って2時間程度でも朱海市散策を、という私の目論見は脆く
も崩れ去りました。彼ら運び屋に混じって入国審査の列を並ぶ気力はなく、10番のバスでフェリー・ターミナ
ルへ戻りました。「動画頁 マカオ編2」参照



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