台湾、高雄&台南  2007年 4月 28日 〜 5月 2日




2007年1月に開通した台湾高速鐵路の乗車を第一目的に、台湾に旅行してきました。桃園国際空港から当日中
に高雄入りし、高雄で四泊した後、高鐵で台北に移動、台北で四泊して帰国という計画を立てました。

問題は、台湾到着の当日中に桃園国際空港から高雄へ移動する方法です。開通直後の台湾高速鐵路は運転士の
養成が間に合わず、フランスからTGVの運転士を助っ人に呼んで総勢30人の運転士で運行している為、列車
が1時間に1本程度しかないという情報でした。もし、桃園国際空港から高鐵桃園駅に移動しても、列車が満
席で乗車券が買えなかったら、立ち往生してしまいます。そこで、安全策を取って、空港−台中間の高速バス
で台湾鐵路台中駅へ移動し、台中駅で在来線特急の自強号に乗って高雄へ向かう事にしました。ところで桃園
国際空港
は中正国際空港が改名されたもので、新空港が出来た訳ではありません。

私の高雄旅行は2003年の8月に続く2回目で、最初の時は台北で数日宿泊した後に高速バスで高雄入りし、3
泊て自強号で台北へ戻りました。その時の撮った写真も「2003年8月撮影」の註釈を付けて紹介します。



桃園空港第一ビルの高速バス・チケット売り場
桃園空港第一ビルの高速バス・チケット売り場


今回利用した航空機はキャセイの関空発台北経由香港行きの便ですので、桃園空港の第一ターミナル・ビルに
到着しました。上の写真は、第一ターミナル・ビルの空港バス・チケット売り場です。台中行きは、国光、飛
狗、統聯の各バス会社から出ています。2008年1月時点で調べた桃園空港の公式サイトの案内だと、台中駅前
まで行くのは国光と飛狗ですが、2007年5月に私が旅行した時に乗ったバスは統聯バスだったと記憶しており
ます。なお、台中駅前バス停が終点ではないので、台中駅前で降りそびれると知らない所まで連れて行かれる
ので注意が必要です。


桃園空港第一ビルの高速バス乗り場
桃園空港第一ビルの高速バス乗り場


うん、統聯バス(Uバス)のバス停に並んでおります。


台中行き高速バスの車内
台中行き高速バスの車内


この緑色で統一された車内は、統聯バスだと思います。高速道路を南下中です。台中市近郊のインターチェン
ジまでは早く付いたのですが、そこから市内各地の停留所をうろうろして台中駅まで辿り着くのに更に1時間
くらいかかりました。


台湾鐵路台中駅の外観
台湾鉄路台中駅の外観


「台中駅」のバス停は台中駅の真ん前ではありませんでした。あるバス停で客がぞろぞろ降りたのですが、そ
こが「台中駅」バス停だとは気付かず、発車してしばらく進んで駅舎の前を通りすぎ、次のバス停で慌てて降
りました。台中駅舎は日本統治時代に建てられた風格ある建造物でしたが、手ぶれ写真が残念です。


台湾鐵路台中駅の構内
台湾鉄路台中駅の構内


台湾鐵路の在来線特急自強号の指定席券が買えましたので、発車までの1時間ほど駅の喫茶店で過ごしました。


高雄星辰商務飯店 外観
高雄星辰商務飯店 外観


高雄での宿に選んだのは、中山路−三多路の交差点付近にある星辰ホテルです。後ろに見える高層ビルは高雄
最高峰ビルの高雄85大樓です。付近には、三越、そごう、遠東の百貨店があり、現在建設中の地下鉄が開通す
れば、高雄駅から3駅目の極めて便利な立地です。


高雄星辰商務飯店 室内
高雄星辰商務飯店 室内


日本のビジネス・ホテルの造りです。ポットが電気式湯沸かし器ではなく、魔法瓶でした。ベッド・メイクの
時に熱湯を入れてくれているのですが、夜になると冷めてしまいます。客室係を捜してお湯を入れて貰うのが
面倒で、ぬるま湯で烏龍茶を飲んでいましたが、12階のコインランドリーの横に給湯器が設置されている事に
気づいたのは、チェック・アウト前夜でした。


台鉄左営駅
台鉄左営駅


高雄到着の翌日、まず台湾高速鐵路の左営駅へ台北行きの切符を買いに行きました。ホテルの前でタクシーを
捕まえて、「請去高鐵的左営車站」と言ったのですが、運転士に「高鐵的」が通じなかったのか、着いたのは
台湾鐵路の左営駅でした。台湾鐵路の左営駅と台湾高速鐵路の左営駅は隣り合っていると思っていたので、こ
こでタクシーを降りました。


台湾高速鐵路的軌道
台湾高速鉄路的軌道


しかし、台湾鐵路の左営駅と台湾高速鐵路の左営駅は隣り合っていませんでした。後で地図を見ると1.5kmくら
い北にありました。台湾鐵路の線路沿いにテクテク歩いて、高鐵の線路の端が見えてきました。


高鐵左営駅構内(改札の外側)
高鉄左営駅構内(改札の外側)


ようやく高鐵の左営駅に辿り着き、台北行きの乗車券を買いました。ちょっと贅沢して商務車(ビジネス・ク
ラス)にしました。ところで、高鐵左営駅に隣接して台湾鐵路の在来線にも新駅が出来ていました。その駅の
名前は新左営駅。例えるなら、日本で東海道新幹線が出来た時に、新幹線の大阪側終点駅が新幹線「大阪駅」
で、それに隣接して在来線に作られた新駅が在来線「新大阪駅」という状況な訳ですよ。だったら、高鐵の左
営駅も「新左営駅」にすべきじゃないんでしょうか。台湾高速鐵路と台湾鐵路は別会社とはいえ、駅名という
のは公共のものであり、会社ごとに勝手に付けて良いものではないと思います。


台北行きの切符を確保してから、いよいよ高雄観光の開始です。高鐵の左営駅からタクシーで高雄駅に戻り、
高雄駅前のバス停から路線バスに乗って、旗津行き渡し船の埠頭がある哈瑪星へ行きました。なぜ直接タクシー
で行かなかったかと言うと、路線バスに乗って行く事に意義を感じるからです。


哈瑪星(ハマシン)案内板(2003年8月撮影)
哈瑪星(ハマシン)案内板


旗津へ行く前にまず中山大學へ行きました。大学は、地図左端の寿山公園の山向こうにあり、地図左上隅のト
ンネルを抜けると、中山大學へ出ます。壽山の上には旧英国領事館があります。地図左下のEが旗津行き渡し
船の埠頭です。哈瑪星散策の経路は、トンネルを通って中山大學へ行き、大学から南下して岬をぐるりと周り
こんで、地図左下Dの位置に戻ってくる途中に、壽山に登って旧英国領事館を見学してきました。Dからは細
長い湾をぐるりと回ってEに向かい、渡し船に乗って旗津へ行きました。

ところで哈瑪星(ハマシン)の地名の由来ですが、日本統治時代このあたりまで港湾の引込線が敷かれており、
日本人がそれを「浜線」と呼んでいたのが鈍って「ハマシン」となったそうです。


中山大學へのトンネル入口(2003年8月撮影)
中山大學へのトンネル入口


中山大學へ行くトンネルの入口です。ところで「國立中山大學」の看板の上に英語で「NATIONAL SUN YAT-SEN
UNIVERSITY」とあります。すると、中山=SUN YAT-SEN という対応関係になります。中山は孫文の號ですが、
台湾では本名の孫文より號の孫中山の名称で知られています。また、孫文には逸仙という號もあり、欧米では
孫文の名は、孫逸仙の広東語読みの「Sun Yat-sen」で知られているそうです。そのため「國立中山大學」の
英訳が「NATIONAL SUN YAT-SEN UNIVERSITY」となるのです。


トンネル内
トンネル内


一般道あつかいのようで、学生だけでなく地元の人も利用していまいした。


中山大學案内板
中山大学案内板


「管理學院」の看板が傾いているのは、管理が出来てませんね。


中山大學鳥瞰図(2003年8月撮影)
中山大學構内地図


こちらは中山大学キャンパスの鳥瞰図です。なんとこの大学は、ビーチの真ん前にあります。


西子湾海水浴場(2003年8月撮影)
西子湾海水浴場


こちらがそのビーチ。女の子達がシャワーを浴びているのをめいっぱいの望遠で撮りました。(^_^;
2003年8月に行った時は海岸まで入れたのですが、2007年5月に行った時は柵に遮られて海岸まで行けませんで
した。入浜料を払わないと砂浜に入れないシステムになったのかもしれません。


旧英国領事館正門前
旧英国領事館正門前


中山大学から海沿いに南へ進んだところの小山の上に旧英国領事館があります。現在はカフェになっています。


旧英国領事館の庭
旧英国領事館の庭


旧英国領事館の庭から望む旗津灯塔
旧英国領事館の庭から望む旗津灯台


旧英国領事館の庭から旗津の灯台が見えます。次はあそこを目指します。


國立中山大學 性科 研究中
国立中山大学 性科 研究中


何の研究をしているのでしょうか。


干し瓜
干し瓜


これはびっくり、何が散らかっているのかと思ったら、スライスした瓜でした。近所の農家が干していると思
いますが、ゴザくらい敷けばいいのに。


到旗津的渡輪「旗鼓一號」発進
到旗津的渡輪「旗鼓一號」発進


先ほどのハマシン案内板のDの位置から撮りました。この船に乗るためには、これからさらに細長い湾を回り
込まねばなりません。この湾の両岸にも渡し船を運行して欲しいです。

 注:2010年11月に再訪しましたが、この両岸を跨ぐ橋が出来ていました。


旗津の案内板
旗津の案内板


渡し船は旗津の島の西北端との間を往復しています。島の西北端の小山の上に灯台があります。


旗津海水浴場(2003年8月撮影)
旗津海水浴場


2003年8月にこの写真を撮った時は、台風接近で遊泳禁止でした。右端が灯台のある小山です。


旗津灯塔正面
旗津灯塔正面


旗津灯塔背面
旗津灯塔背面


旗津灯塔アップ
旗津灯塔アップ


内部は資料館になっていますが、塔の上までは登れません。周囲は公園でご老人の憩いの場となっていました。
この灯台へ登る道を探してキョロキョロしていると、日本語の達者なご老人が声を掛けてくれ、灯台まで案内
してくれました。途中、「高雄には軍港があって、そこの軍人は台湾人に対しては威張っていてねぇ」といっ
た昔話を聞かせてくれました。台北で電車に乗っている時も日本人と見て話しかけてくれたご老人がいました。
台湾の日本語世代のご老人達の青春時代の記憶は日本語と不可分の関係にあると推察するので、台湾でご老人
に日本語で話しかけられたら、できるだけ日本語で会話をしてあげてください。

動画頁 台湾編3」参照


高雄85大樓
高雄85大楼


旗津から戻った後、台北101が出来るまでは台湾最高峰のビルだった高雄85大樓の展望台「高雄85大楼観景台」
に登りました。高雄の街の東西南北をカメラに納めようと思いましたが、なんと展望台の南東方向は壁で、3
方向しか展望する事ができませんでした。南東方向に軍事基地でもあるのでしょうか。


西 旗津灯塔を望む
西 旗津灯塔を望む


北西 愛河を望む
北西 愛河を望む


南 高雄港を望む
南 高雄港を望む


東 三多商圏を望む
東 三多商圏を望む


横方向(南北)の道路が中山路、縦方向(東西)の道路が三多路です。中山路と三多路の交差点は、昔はロー
タリー方式だったようですが、現在は普通の四つ角です。ロータリー方式交差点は交通量が少なければ赤信号
に引っ掛かる事なく通行できるのですが、交通量が限度を超えると車の流れをさばき切れなくなるのですね。
この交差点にロータリー方式を採用した高雄の街の都市計画者は、先見の明があったというべきか無かったと
言うべきなのか。なお、中山路の下は地下鉄工事中であり、この交差点の下に新駅ができる予定です。

手前の半円形のビルが遠東百貨店、中山路の向こうがそごう百貨店、そごうの更に向こうに三越百貨店があり
ます。星辰ホテルはこの写真には入っていませんが、遠東百貨店と三多路を隔てて北隣のブロックにあります。
三越百貨店から道路を隔てた北側の地区には、小規模な屋台街がありました。


新堀江商圏(あるいは原宿玉竹商圏?)
新堀江商圏


三多商圏から中山路を北へ1kmほど歩くと(地下鉄が出来たら一駅)、新堀江商圏があります。高雄の西門町
ですね。

 注:この付近の商店街は、五福二路を挟んで南側が「新堀江商圏」、北側が「原宿玉竹商圏」という名称で
  した。上の写真を撮った場所はどちらだったか、今となっては記憶が定かではありません。m(_ _)m


翌日は、まず三鳳宮を参詣しました。


三鳳宮正面
三鳳宮正面


宇治の平等院鳳凰堂と同じく、鳳凰が翼を広げている姿をイメージしているんでしょう。


三鳳宮の建築物
三鳳宮の建築物


先ほどの建物を裏手から撮りました。


三鳳宮の脊獣
三鳳宮の脊獣


屋根の上に並んだ魔よけの動物像を「脊獣」と言います。「脊」は背骨の意味で、屋根の背骨みたいなところ
に置かれた獣の像だから「脊獣」。ソウル各所にある旧王宮建築の屋根にもありますが、日本では見た記憶が
なく、そもそも「脊獣」という単語が広辞苑には載っていないので、屋根に「脊獣」を載せる風習は朝鮮半島
止まりで日本には伝来しなかったのか、と思っていました。ところが、ウィキペディアの中文版で「脊獣」を
調べると、東大寺戒壇院の脊獣が紹介されています。唐代に日本に伝わったものの日本では廃れたようです。

日本の鬼瓦は脊獣が変形したのかとも思いましたが、中国にも唐代には「獣面瓦」という瓦があり、宋代以降
は減少したそうです。つまり、中国の唐代には屋根の装飾として「脊獣」と「獣面瓦」があり、どちらも唐代
に日本に伝来したが、その後中国では脊獣が主流となり、日本では脊獣が廃れて獣面瓦が鬼瓦に変化したと推
測します。沖縄のシーサーも脊獣の影響かと早合点したのですが、シーサー(獅子像)を屋根の上に載せだし
たのは明治時代以降の風習だそうで、脊獣とは関係ないようです。


高雄願景館(旧・高雄駅舎)
高雄願景館(旧・高雄駅舎)


旧高雄駅舎は地面から切り離されて東へ50mほど移動し、博物館(高雄願景館)になっていました。この時は
休館日でしたが、現役の高雄駅と間違えて入る旅行者が絶対にいると思う。


現・高雄駅舎(仮駅舎)
現・高雄駅舎(仮駅舎)


こちらが現高雄駅舎ですが仮駅舎だそうで、地下鉄が開通する頃には新駅舎が出来ている事でしょう。2階に
入居しているテナントの各商店が大通りから丸見えの窓際に無造作に段ボール箱を積み上げているところに、
日本とは違う社会の大らかさを感じます。


高雄駅改札口
高雄駅改札口


見ての通り、高雄駅は広いです。この駅から各地への支線が出ている訳でもなく、西部幹線の途中駅の一つに
過ぎないのに、なぜこれだけの広さが必要なのでしょう。こんなに広いなら、台湾新幹線をもう少し延伸し、
敷地の一部を高速鐵路に譲って新幹線の高雄駅を作ればいいのに。台北駅はホームの半分を譲ったんですから。


準急復興號機関車
準急復興號機関車


準急復興號車内
準急復興號車内


台南駅舎
台南駅舎


高雄から準急で40分くらいで台南に着きます。


赤坎樓(2003年8月撮影)
赤坎樓


坎の字には山冠が付きます。オランダ占領時代に建てられた要塞で台湾最古の建築物だそうですが、オランダ
時代の建造物は基礎部分しか残っておらず、現存する建物は後世に建てられた中国風建築です。建物の前に並
んでいる石板はモノリス、ではなくて亀の石像の背中に載せられた石碑です。


台南運河1(2003年8月撮影)
台南運河1


台南運河2(2003年8月撮影)
台南運河2


景色はさておき、2003年8月時点では臭いはドブ川でした。


國家台灣文學館正面(旧台南市役所)
國家台灣文學館正面(旧台南市役所)


國家台灣文學館側面
國家台灣文學館正面


旧台南市役所(戦前は台南州庁舎)だった建物を模様替えした國家台灣文學館は、行った時は閉まっており、
内部の見学はできませんでした。この近くにある担イ子麺屋、度小月で昼食を食べました。


台南孔子廟正門
台南孔子廟正門


台湾で一番格式のある孔子廟だそうです。


台南孔子廟
台南孔子廟


内部見学はできました。歴史上の有名な儒教学者の名前を書いた額が並べられていました。


孔子廟近くの洒落た通り
孔子廟近くの洒落た通り


台南駅へ向かって歩いたのですが、孔子廟の門前で洒落た通りを発見。


台南の刺繍店 作品の裏側
台南の刺繍店 作品の裏側


途中の商店街の一角に刺繍屋があり、店の前で商品を制作中でした。これは刺繍の裏面です。


台南の刺繍店 作品の表側
台南の刺繍店 作品の表側


カメラを地面すれすれに置いて撮影しました。ファインダーは覗けなかったのですが上手く撮れました


美容院カフェ
美容院カフェ


台南駅前の商店街にあったカフェと美容院のコラボ店。パーマや毛染めの薬品類の臭いと珈琲の臭いが混じる
事を想像すると、珈琲が美味いとは思えませんが。


高雄行き電車の運転士
高雄行き電車の運転士


帰りは列車ではなく電車でした。運転席と客席の仕切がありませんでした。


道教寺院「廣済宮」のお祭り
道教寺院のお祭り


夜になって「夢時代」まで歩いて行きましたが、その途中、遠東百貨店の南隣の道教寺院でお祭りに遭遇。右
手には特設ステージがあって女性司会者が壇上で場を盛り上げていました。


ショッピング・モール「夢時代」
ショッピング・モール「夢時代」


オープンしたばかりの台湾最大のショッピング・モール「夢時代」です。レストラン街のテナント入居率が、
まだ8割くらいだったのが残念です。牛肉麺専門店「金湯」で牛肉麺を食べました。




星光水岸公園のオブジェ
星光水岸公園のオブジェ


高雄最終日は高雄港を散策しました。高雄85大樓から岸壁の方向へ向かうと、星光水岸公園があります。何の
役にも立たない無意味な物体をど〜んと置いてあるところに、台湾社会の豊かさと成熟度を感じます。


星光水岸公園で撮影中の新婚さん
星光水岸公園で撮影中の新婚さん


結婚アルバムを撮影中の新婚さんを発見。このあたりには引き込み線もあって錆びたレールがローカル線風情
を醸しだし、風車等の現代的オブジェとの対比が面白く、確かに絶好の撮影ポイントだと思います。

動画頁 台湾編3」参照


新光埠頭から見る高雄港
新光埠頭から見る高雄港


星光水岸公園から岸壁に出たあたりが新光埠頭です。高雄港の海の先に旗津灯台のある小山と、旧英国領事館
のある小山が見えます。


新光埠頭から真愛埠頭への遊覧船案内
新光埠頭から真愛埠頭への遊覧船案内


真愛埠頭は愛河の河口付近ですが、そこへ行く渡し船は、休日のみの運行でした。


漁人埠頭
漁人埠頭


そこでタクシーを飛ばして人気のナイト・スポットの漁人埠頭へ行きましたが、飲食店はまだ営業前でした。


高雄港港区導覧図
高雄港港区導覧図


新光埠頭から眺めた港の風景は、この地図の右下の愛河河口付近に過ぎず、旗津の沖合がど〜んと埋立られて
います。高雄港のコンテナ取扱量は、神戸や横浜が束になっても追いつけない規模だそうです。高雄だけでな
く、釜山にも上海にも深土川にも香港にもシンガポールにも、追いつけないほど負けていますが、このアジア
港湾競争における日本勢の敗北について、誰かが責任を取ったという話を聞いた事がありません。神戸の場合
は、何でも震災のせいにされますが、震災のなかった横浜も同じように凋落しています。世界の工場となった
中国の港に負けるのは仕方ないとしても、産業構造の似た韓国や台湾の港にまで負けるのは腑に落ちません。
何かのやりようは無いのでしょうか。


高雄港資料館
高雄港資料館


残念ながら閉館中でしたが、古い建物を資料館として残そうという当局の意図を感じます。


高雄漢王洲際飯店(2003年8月撮影)
高雄漢王洲際飯店


高雄漢王洲際飯店室内(2003年8月撮影)
高雄漢王洲際飯店室内


このホテルは愛河の西岸の区画にあり、2003年の初高雄旅行の時に宿泊しました。室内はパステル・カラーで
統一されておりビジネスマンよりはアベックにお勧めしたいです。愛河西岸には旧高雄市庁舎だった市立歴史
博物館もあり、昔は愛河西岸が高雄市の中心だったと推測します。現在の中心は東岸に移っており、このホテ
ルの周囲も適度な寂れ具合です。中心地から遠いのがネックですが、地下鉄が出来れば便利になるでしょう。


新楽街商店街
新楽街商店街


ホテルと五福四路を隔てた南隣のブロックに、ガイド・ブックにも紹介されている堀江市場があります。中山
路沿いの新堀江市場が名前を受け継いでいる事がら、高雄では由緒ある商店街と推察しますが、寂れ過ぎて外
人旅行者がウインド・ショッピングを楽しむ場所ではありません。散策するなら、ホテルの北側に五福四路と
平行するこの商店街(帰国後に地図を調べましたが、恐らく新楽街だったと思います)をお勧めします。

平成3年、台湾に始めて出張した時、台湾には商店街がないと感じました。店が集まっている通りはあります
が、人通りの多い場所に結果的に店が集まっただけであり、各商店は自分の店の店内を綺麗に見せる努力はし
ても、商店街組合などを結成して協力し、組織的に街全体の価値を高めようという発想がないのです。同じ事
は司馬遼太郎氏も「台湾紀行」の中で指摘されています。

しかし、高雄の愛河西岸区域に例外を発見。店の看板を小豆色に統一して一体感を出しています。これは正に
日本で言うところの商店街。しかし、よく見ると右側の列に規則を守らない店主がいるようです。次に行った
時、規律が徹底されているのか、はたまた、あいつがするなら俺もと秩序が崩壊しているのか、楽しみです。


祭礼のお供え物(2003年8月撮影)
祭礼のお供え物


2003年8月に五福四路の南側の大智路で遭遇した祭礼のお供え物です。


高雄市立歴史博物館(旧高雄市役所)
高雄市立歴史博物館(旧高雄市役所)


入館料無料です。受付の係員さんは、私が日本人と知ると日本語のパンフレットをくれました。この博物館の
見所は、この建物そのものだと思います。が、最上階までは公開されていませんでした。


愛河1
愛河1


愛河2(2003年8月撮影)
愛河2


水質は道頓堀と似たようなものでしょうか。少なくともドブ川の臭いはしていません。


マー・ライオン?(2003年8月撮影)
マー・ライオン?


このマー・ライオンもどきは何?高雄市のシンボル?ガイド・ブックにも説明がありません。

 注:こいつの正体がようやく分りました。「鰲躍龍翔」というオブジェだそうです。鯉が出世して龍に変身
   しようとする姿を表現しているそうです。


前金天主堂(2003年8月撮影)
前金天主堂


前金天主堂の塔
前金天主堂の塔


塔の近影は2007年の撮影です。主塔の左右にある小さな塔は、窓の配置から螺旋階段があるものと推測します。
内部を探検したい建物です。

動画頁 台湾編3」参照


高鐵左営駅構内(改札の内側)
高鐵左営駅構内(改札の内側)




高鐵左営駅プラットフォーム
高鐵左営駅プラットフォーム


高鐵左営駅に行った証拠としてこの写真を残します。


台湾高速鐵路700T先頭車輌
台湾高速鐵路700T先頭車輌


日本の700系よりカッコいいと思います。というより700系(N700系も)がブッ細工。なんでも、新幹線車両を
選定する時700系の車輌は台湾側が拒否したので、700系をベースに先頭車のデザインを作り替えたとか。拒否
した理由はやはり不細工だからでしょう


700Tのドア付近
700Tのドア付近


旅行前に、台湾企業の開発した洗車装置が列車の曲線部に対応できず、人海戦術で車体を清掃しているが手が
回らないというニュースを聞きましたが、実際、開業後半年も経っていないのに車体表面は薄汚れていました。


商務車輌内部
商務車輌内部


恥ずかしながら、私、日本では新幹線のグリーン車に乗ったことがありません。こちらでは、航空機と対抗す
るためか、車掌を含めた服務員は若い女性でした。商務車には女性が一人専属で配置され、お絞りのサービス
や、飲料・軽食のワゴン販売をしていました。


動画頁 台湾編3」参照



高雄・台南で食べた物


セブン・イレブンの鶏めし弁当
鶏めし弁当


高雄に着いた夜に、ホテル近くのセブン・イレブンで買ったお弁当です。70元。


台南・度小月の担イ子麺
度小月の担イ子麺


台南・國家台灣文學館近くの担イ子麺屋、度小月で食べた担イ子麺と野菜炒め。店内の雰囲気は良い。


夢時代・金湯の牛肉麺
金湯の牛肉麺


それほど辛くなく食べやすい牛肉麺でした。


新楽街商店街の定食屋の鱈定食
新楽街商店街の定食屋の鱈定食


新楽街商店街の定食屋(食事時以外は喫茶店かも?)で鱈定食を食べました。100元くらいと記憶します。


三越の北側付近の小吃街の焼肉丼屋の豚どん
豚どん


三多路の三越から三多路を渡って道路の北側の歩道を東に進むと、小規模な屋台街・小吃店街があります。その
なかの小吃店(屋台ではなく固定店舗)で、豚どんを食べました。味付けは日本で食べたとしても違和感なし。







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