中国 杭州  2009年 4月 30日 〜 5月 4日


六和塔と銭塘江


上海へ旅立つ日の早朝、銭塘江のほとりに建つ六和塔を見に行きました。なんと朝6時から開門しているので、
ゆったりと見学したいなら早朝に限ります。まだ地下鉄の開通していない段階では、交通手段はバスとなりま
す。市内バスの運賃は路線によって1元から3元で、冷房が入ると0.2元アップします。この季節は気温に
よって冷房が入ったり切ったりで、早朝の往路は2元でしたが昼間の帰路は2.2元でした。確かに冷房という
新たなサービスが付加されたので、その分の料金を上乗せするのは理にかなっています。なんか日本より資本
主義の原理が徹底しているような感じです。

バスはほとんどが冷房付きの新型車両で、市民は非接触ICカード・システムで運賃を支払っています。ゆえ
に料金箱に釣り銭を出す機能はないので、乗る時は小銭を忘れずに。


市内バス車内風景
市内バス車内風景


下の写真が六和塔の停留所です。高解像度写真を掲載しますので、路線表示は拡大して見て下さい。西湖東岸
のホテル密集地区へ帰るなら、K504(平海路行き)かK4(一公園行き)に乗ります。


六和塔の停留所(高解像度写真)
六和塔の停留所


六和塔の停留所を降りると、すぐそこに坂道があったので、六和塔への道と早合点して登りましたが、上の敷
地にあったのは杭州市革命烈士紀念館でした。坂道を戻ると入口にちゃんと表示がありました。


停留所前の坂道
停留所前の坂道


杭州市革命烈士紀念館
杭州市革命烈士紀念館


停留所からバス道沿いに(川沿いでもある)西へ少し歩くと、六和塔の入口がありました。下の写真の右手の
窓口が券売所です。


六和塔の入口
六和塔の入口


六和塔に辿り着きました。六和塔だから六角形、と思ったら八角形の塔でした。別の角度からもう一枚撮りま
した。動画はこちらにあります。


六和塔1
六和塔1


しかし屋根の間隔が一定ではないです。本当は七階建ての塔ですが、裳階(もこし)を六層付けています。


六和塔2
六和塔2


六和塔内部は観光客の入場OKで七階のてっぺんまで登れます。ただし、エレベーターはついていません。早朝
で私以外の観光客はいなかったので、気分はインディ・ジョーンズ。


階段1
階段1


階段2
階段2


六和塔の構造は、磚(焼き煉瓦)で作られた中心部を、木造の周辺部で囲う形になっています。つまり磚で作
られた塔は七階建てだが、まわりを囲む木造部の屋根は13層なので、中心部の七層とずれた六層が裳階になり
ます。


中心部
中心部


芯柱?
芯柱?


この柱が地面から最上層まで伸びているかどうか不明です。


天井画
天井画


回廊
回廊


この写真を見れば、中心部が磚で周辺部が木造部という六和塔の構造が判って頂けると思います。ところで、
回廊の床面は、どの階も外側に傾いています。雨水の排水を考えた構造とは思いますが、傾いた床に立ち、窓
の外に腕を伸ばして風景写真を撮るのはちょっと怖いです。


朝靄の銭塘江(高解像度)



六和塔の最上階から撮影した銭塘江です。この風景を見ただけでも杭州へ来た甲斐があったと思いました。朝
靄は昼になっても消える事はないでしょう。はっきり言えばスモッグですが、ここは朝靄と思いましょう。
この風景の雄大さを少しでもお伝えするために、写真4枚をつなぎ合わせて13660x2800のパノラマ写真を作り
ました。専用ツールを使わない手作りなので繋ぎ目が見え見えですが、多少なりとも六和塔の最上階に立って
銭塘江を見渡した時の感じが伝わると思います。右クリックで「対象をファイルに保存」して各自の画像表示
ソフトでご覧ください。


銭塘江パノラマ写真


六和塔概況
六和塔概況


中国語力の無さを想像力で補って適当に翻訳します。語学的なミスは指摘しないで下さい。(^_^;

雄偉壮観である六和塔は、銭塘江の江畔、月輪山の山麓に座す。この地は元は五代呉越国の王室南果園である。
北宋の開宝四年(971年)、銭弘俶は、宿舎と庭園と塔を造り、塔を建てるのに併設して寺院を建てた。
元々の六和塔の建設目的は、銭塘江の潮を鎮める為である。塔の頂には明灯が取り付けられ、夜航船の指南を
行った。塔名の六和は、仏教徒の六種の規約、心和、口和、意和、見和、戒和、悦和、に応じている。
更に六和塔の名称は、東西南北天地の六方向を以て、その教義の広さを顕示する意味もある。

宣和三年(1121年)方臍が義軍を起こし、戦乱は六和塔に到り塔は焼損した。紹興壬申23年(西暦1153年)僧
智曇と化縁が再び修復。嘉靖三年(西暦1524年)毀損。その後何度も修復しては毀損を繰り返した。現存する
磚構造の塔身は、南宋の紹興年間(西暦1153年)の修復である。外観の十三層に係わる部分は清の光緒二十六
年(1900年)の修復である。高さ59.89m、八面七層、双筒体磚木構造を為す。

私が階段を登ってきた中心部は、南宋時代1153年の修復で、けっこう古い時代です。土足で歩いてよいかな。
塔内の回廊には南宋時代の想像図も掲示していました。裳階がなくて外観も七階建てです。


南宋時代の六和塔
南宋時代の六和塔


六和塔を後にして銭塘江沿いを散策してからバス停に戻りました。最後に銭塘江の江畔風景を紹介します。


銭塘江の江畔風景
銭塘江の江畔風景







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