広州  2008年 4月 29日 〜 5月 1日



3泊4日のマカオ観光の後、珠海市から高速バスに乗って広州入りし、広州で2泊して九廣鐵路で香港へ出
ました。バスで高速道路を走りながら広州市へ近づいていったので、広州の都市圏の広さがよく判りました。
高速道路の周囲が農村から都市に変わり、そろそろ到着かと思ってから、更に1時間くらい(高速道路を降
りて一般道を走ったせいもあるが)ビル街の中を走りました。下に紹介している電子地図サイト「都市圏」
の広州のCG鳥瞰図を見れば、その巨大さを実感してもらえると思います。広州市政府のサイトによると、
人口は2006年で約760万人だそうです。

まずは、広州関連情報サイトの紹介。

エクスプロア広州
  日本の広州情報総合サイトです。電子地図もあります。

広東省旅游局日本語頁
  広東省旅游局サイトの日本語ページ

広州市政府日本語頁
  広州市政府サイトの日本語ページ。

広州旅游網
  広州市観光局サイト。日本語ページもありますが、文字化けがひどくて読めません。

都市圏 広州站
  中国の電子地図サイト「都市圏」の広州のページ。CGによる鳥瞰図が表示されます。地図としての実用
  性には疑問符が付きますが、鳥になった気分で広州市上空を飛び回れます。ほとんどのビルにはリンク
  が貼ってあり、入居している企業、商店の紹介ページが表示されます。その広告費収入で運営しようと
  いうビジネス・モデルのようですが、スポンサーはまだ少ないようです。このサイトの経営が軌道に乗
  る事を祈ります。
 
広州地下鉄
  広州地下鉄サイト。左端メニューの「我要坐地鉄」をクリックすると、アニメで乗り方を学べます。


広州へは、2003年11月にも香港から九廣鐵路で日帰りで行った事がありますが、宿泊するのは初めてです。
予約したホテルは、広州一の繁華街である北京路の北端で、地下鉄1号線と2号線の乗換駅である公園前駅
から徒歩5分、という好立地にある広州大厦です。結論を言えば大当たりでした。

私がホテルを選ぶ時の条件は、まず交通が便利な事、そして繁華街に近い事です。広州で言えば、公園前駅
と北京路のそれぞれから徒歩圏内となるのですが、ホテル予約サイトでこの地域に立地するホテルを捜すと、
広州大厦しかありません。これから広州に旅行しようという方にも、ぜひお勧めしたいホテルです。そこで、
もうしばらくこのホテルを紹介したいと思います。


広州大厦近景



ところで、広州大厦の英名は「hotel canton」ですが、予約サイトのホテル・トラベルは、北方に約200m
離れた東風中路沿いにある広東大厦(英名 Guangdong Hotel)と広州大厦を、混同して紹介しています。


ホテル・トラベルのページより引用

ホテル・トラベルのページ


もし、このサイトで広州大厦を予約した人が、印刷したこのページをタクシーの運転手に見せたら、運転手
は英名ではなく漢字の広東大厦に目が行って、広東大厦に連れて行くでしょう。そこのフロントで、広州大
厦の予約書を提出しても、ここは広東大厦だから広州大厦へ行けと中国語でまくし立てられて断られます。
その人が中国語も英語の出来ない人だったら、パニックに陥る事でしょう。

私はオクトパスで予約しましたが、このサイトでは地図上のホテルの位置を間違えています。広州大厦は中
山路(東西の大通り)の北側にあるのですが、この地図では中山路の南側にあるように記載されています。
この地図は、確認書にも記載されているので、このサイトで予約した人がこの地図を頼りに中山路を右往左
往しても、広州大厦が見つかるはずありません。

両ホテル予約サイトは、アップル・ワールドと並んで私がよく利用する予約サイトであり、これまで何度も
世話になっていて特に恨みはないのですが、「ホテル予約サイトの情報を鵜呑みにするな」という教訓を学
んでもらう為に、これらの事例を紹介します。公共の利益に資する目的だから、両サイトのページからの引
用は、著作権法違反にはならない・・・・と思う。


オクトパスのページより引用

オクトパスのページより引用



北京路は、珠江沿いから北に伸びて中山路を越え、さらに100mほど進んで広衛路と交わる地点で終わります。
北京路の北端、すなわち広衛路と交わる地点に広州大厦の門がありますが、ホテルの建物は、門を入って更
に100mほど私道の坂道を上ったところにあります。このホテルのフロントは地べたの階ではなく2階だった
か3階だったか(階数の表示は香港式=イギリス式)にあり、そこへクルマで乗り付けるために南側にコン
クリート製の坂道を用意しています。


広州大厦遠景



広州大厦の北側は越華路に面しており、この通りにはコンビニやパン屋があります。ホテルのフロントは南
側ですので、もしタクシーでホテルに行って、着いた場所が北側なら、建物に入ってからエレベーターで2
階だったか3階だったか(階数の表示は香港式=イギリス式)に昇って、フロントを捜してください。


広州大厦北側
広州大厦北側


室内は、香港の同クラスのホテルより、ずっと広いです。


広州大厦室内
広州大厦室内


窓からの眺めです。北京も上海もそうですが、いつも遠方がかすんでいるのは霧?それともスモッグ?


南方の眺望
南方の眺望


上の写真の右下に写っている白いドームを載せたビルは広東省財政庁です。広州大厦の前身は広州市政府の
招待所だったそうで、付近は官庁街であり治安は良好です。写真の左下に写っている二つの緑色の蒲鉾型の
屋根は、南越王宮の発掘現場です。発掘現場に中山路側から行ってみると、博物館になっていました。


南越王宮博物館等建処
南越王宮博物館等建処


北京路が「広州一の繁華街」となるのは中山路より南側の区画で、中山路より北側の区画は普通の商店街で
す。広州大厦の建物は、そこから更に私道で100mほど北に入るので、繁華街の近くでありながら閑静な環境
です。ホテルの南側の門から北京路に出ると、北京路西側の新大新ビルの地下にスーパー・マーケットがあ
ります。入口は目立たないのですが、「周生生」という宝飾品店の右隣にあります。


超級市場入口
超級市場入口


ホテル内には、西洋料理店と高級および中級の中華料理店があります。中級の榕園坊という店で昼食に点心
を食べました。メニューは入口で「ご自由にお取り下さい」だったので、記念に持ち帰りました。


榕園坊菜譜(高解像度)
榕園坊菜譜

帰国後にメニューを見ると、左下の方に神戸牛のサイコロ・ステーキが48元(約750円)とありますが、ほ
んまかいな。私が食べたのは点心3種とシンガポール風焼きビーフンです。


広東葱油餅(10元/3個)
広東葱油餅


香煎南瓜餅(8元/3個)と脆皮蕃薯餅(8元/3個)
香煎南瓜餅と脆皮蕃薯餅


星洲炒米粉
星洲炒米粉


ホテル北側の越華路沿いにあるパン屋で翌日の朝食用にパンを買いました。菓子パンは一個2〜3元です。


パン屋の商品陳列棚
パン屋の商品陳列棚


写真で左下に写っているパンを買いました。商品名は毛虫パン!なんちゅうネーミングや。


毛虫パン
毛虫パン


ホテルの北側から出て越華路を西へ進み広仁路と交差する角地に強記鶏粥というお粥屋があります。


強記鶏粥
強記鶏粥


牛肉粥が6元でした。ホテルの榕園坊は一番安いお粥(沙鍋皮蛋痩肉粥)が13元なので、半額以下です。


牛肉粥(6元)
牛肉粥


店内の壁に掲示してあったメニューです。フラッシュで光っている左から2番目の料理は「田鶏鮮蝦粥」で
す。中華料理用語で「田鶏」は食用蛙の事ですが、本当に生前の姿のままで鍋に入れるのでしょうか。


強記美食推介
強記美食推介


ホテルで荷を降ろした後、まず広州東駅へ行き、九廣鐵路の香港行き特急の翌々日の券を買いました。広州
東駅と九廣鐵路の説明は後でまとめてする事にし、沙面の報告を先にします。沙面は、珠江沿いにある旧租
界地で、往時の洋館がたくさん残っています。最寄り駅は地下鉄1号線の黄沙駅です。広州東駅で切符を買っ
た後、地下鉄1号線に乗って黄沙へ向かいました。


広州地下鉄1号線広州東駅(2003年撮影)
広州地下鉄1号線広州東駅


沙面は、2003年の広州訪問時にも、まず向かった場所です。上の写真はその時の撮影ですが、現在の広州地
下鉄の各駅では、ホーム側の乗車位置にも自動ドアを設置済み、あるいは設置工事中であり、この点は日本
の地下鉄(新設の一部路線を除く)より進んでいます。

2003年当時の黄沙駅には何の案内もなく、私は沙面を求めて周辺を探し回ったのですが、今回行ってみると、
黄沙駅にちゃんと案内板がありました。


黄沙駅案内板
黄沙駅案内板



沙面に向かうにはD出口から出ます。


広州地下鉄1号線黄沙駅D出口
広州地下鉄1号線黄沙駅D出口


D出口から地上に出て南を向くと、一般道の上を高架道路が走っています。その道路を少し東へ進み、南へ
渡ると沙面に着きます。


黄沙駅D出口から南東方向を見る
黄沙駅D出口から南東方向を見る


掘の外から見る沙面の西端(2003年撮影)
掘の外から見る沙面の西端


沙面は、細長い砂州を利用して造成された中国版の出島で、南側は珠江に面し、北の陸側とは掘りで隔てら
れています。掘りには何本かの橋が架かっていますが、自動車が通れるのは東側の一カ所だけなので、沙面
に用のないクルマが通り抜けする事がなく、島内の道路は閑静で、ゆったりと散策できます。


沙面へ掛かる橋
沙面へ掛かる橋


いよいよ沙面に入ります。


沙面案内図
沙面案内図


沙面の中心を走る東西の大通りが沙面大街です。広い道路の中央は公園になっているので、地図では緑の帯
で表現されています。


沙面大街1(2003年撮影)
沙面大街1


ここが中国とは信じられない街並みが残っています。21世紀までよくぞ保存されていたな、と感激しました。
建物は西洋風ですが、フローラ(植物相)は亜熱帯なので、ちょっとシュール・リアリズム的風景です。


沙面大街2(2003年撮影)
沙面大街2


沙面大街3(2003年撮影)
沙面大街3


中には廃墟となっている物もあります。ただ、上の写真は2003撮影なので、もしかしたら修復されて洒落た
カフェになっている可能性はあります。


沙面大街4(2003年撮影)
沙面大街4


沙面を西端から東へ進み中央付近に来ると、住宅ではなくて、比較的大きなビルが立ち並ぶようになります。
カフェやブティックが入居していたりします。


沙面大街の教会(2003年撮影)
沙面大街の教会


沙面大街の東の方にある教会。この写真を撮る前に門からシスターが出て来ましたので、現役の教会です。


陶然軒の正面(2003年撮影)
陶然軒の正面


2003年に行った時は、この店で昼食を摂りました。この店は茶館ですが、当時は料理も出していたのです。
今回行って、入口の小姐に夕食を食べたいと言うと、料理は出していないとの事。沙面の東の方へ行くとレ
ストランがあると教えてくれたので、この店を後にしました。下は、2003年当時は料理も出していたという
証拠写真です。右の野菜炒めの野菜は、当時は謎の青菜だったのですが、今回の旅で正体を突き止めました。
「芥蘭」といいます。サクサクと言うよりボキボキと言いたいぐらいに茎の歯ごたえの良い野菜ですが、味
はほとんどありません。歯ごたえを楽しむ野菜です。


陶然軒の料理(2003年撮影)
陶然軒の料理


店の内部は茶器のコレクションがあり、小姐の服装も古風ですが、料理を提供して客がパクパクと食べてい
ると、せっかくの雰囲気が台無しです。茶館に特化した経営判断は理解できます。


陶然軒の内部(2003年撮影)
陶然軒の内部



沙面中央付近の珠江沿いにある沙面公園から見る珠江です。沙面南岸の道路は高架になっているのですが、
非常に橋脚の背の低い高架道路で、上の写真は川縁にしゃがんで、高架道路がギリギリ写らないアングルで
撮りました。沙面公園の西側へ行くと、公園が高架道路より南側に突き出た部分があり、そこなら高架道路
を気にせずに、珠江の風景を撮影できます。


沙面公園から見る珠江(2003年撮影)
沙面公園から見る珠江


以上が2003年の第一回広州旅行で撮影した写真。以下は、2008年の今回の旅行で撮影した写真です。到着時
は既に夕刻だったので、沙面の夜景を撮る事ができました。


夕刻の沙面1
夕刻の沙面1


夕刻の沙面2
夕刻の沙面2


夜の沙面1



夜の沙面2



夜の沙面3



夜の沙面4



沙面から見る珠江の夜景
沙面から見る珠江の夜景


陶然軒の小姐に教えられた通り沙面の東端へ向かうと、レストランが何軒かあり、下の写真の店「有腥氣」
で夕食を摂りました。広州で特に「何々料理」と銘打っていないという事は、広東料理なんでしょう。


有腥氣の正面
有腥氣の正面


店名の右端の漢字は、崩していて読みづらいのですが、多分「氣」だと思います。


有腥氣の店内
有腥氣の店内


各テーブルの中央にはコンロが埋め込まれていて、鍋料理もできるようになっています。メニューの写真を
撮るのを忘れたので、料理名は判りません。


野菜と肉の炒め
野菜と肉の炒め


冬瓜と肉の炒め
冬瓜と肉の炒め


炒飯
炒飯


甘い南瓜餡入りサクサク揚げ餅
甘い南瓜餡入りサクサク揚げ餅


中華料理を注文する時は、素材と調理法と味付けの組み合わせを上手く散らして、重複を避けるべきですが、
上の料理では炒め物が重複してしまいました。メニューの料理名から調理法まで読みとれなかったのだと思
います。夕食を終えてからホテルに帰り、広州観光の初日は終わりました。


翌日は、南北のメイン・ストリートの解放路を珠江から北に歩き、解放路沿いに点在する観光名所を巡りま
した。最初に行ったのは、総石造りのキリスト教教会の「石室」です。解放路と一徳路の交差点から一徳路
を西に100mほど進むと、一徳路の北側に石室が見えてきます。


石室聖心大教堂遠景
石室聖心大教堂遠景


教会の門は閉ざされていました。門にあった案内によると日曜日は開かれるとの事。キリスト教の性格から
言えば、教会はいつでもオープンで来る者はこばまず、異教徒も入れるものですが、中国は違うようです。


石室聖心大教堂ファサード(高解像度)
石室聖心大教堂ファサード


建材は花崗岩で、細部まで装飾がほどこされ、建築としての価値は高いと思います。次に広州に来る機会が
あれば、日曜日に来て中に入ってみたいです。


石室聖心大教堂後方
石室聖心大教堂後方


一徳路付近で石室を捜している時にすれちがった三輪車のおじさんです。加油!加油!


三輪車のおじさん
三輪車のおじさん




石室から懐聖寺に向かう途中で広州の秋葉原(萌え系ではなく電気街)を見つけました。朝天路という南北
の通りに、電子部品店が軒を連ねています。


広州の電子街1
広州の電子街1


広州の電子街2
広州の電子街2


多くの店で、二極管、三極管、という表示があり、今頃に真空管の需要がそんなにあるのかと思いましたが、
三極管と表示された商品棚を見ると、そこに並んでいるのはトランジスタでした。トランジスタ→三極管と
は、ずいぶんと不正確な意訳です。そしたら本物の三極真空管は何と表示して売るのでしょう?

これらの電子パーツ店は、趣味で電子工作をする一般市民相手ではなくて、広東省の電子機器製造業を支え
る電子部品商社なんでしょう。


広州の電子街3
広州の電子街3




五仙古観
五仙古観


朝天路を北上する途中でちょっと西に入ったところに道教寺院の五仙古観があります。今回は入口の写真を
撮るだけで立ち去りました。その次に行ったのが、イスラム寺院の懐聖寺です。


懐聖寺光塔
懐聖寺光塔


門は閉ざされており、一般人は中には入れません。


懐聖寺の注意書き
懐聖寺の注意書き


本イスラム寺院は内外のムスリムのためだけに開放し、社会の個人に対しては暫く開放を見合わせる。旅行
団体は事前の連絡と同意を経た後に、団体での寺への進入と参観を許可される。イスラム寺院への進入には
下に列挙した規定を遵守する事が必須である。

一.露出の多すぎる服装をした女性と短パンをはいた男性は寺に入ってはいけない。
二.イスラム教で禁止された食品を持って寺に入ってはいけない。
三.非ムスリムは礼拝大殿に入って参観できない。
四.静粛を保持しなければならない。騒いではいけない。寺内禁煙。


朝天路を北上して中山路を越えると道の名前は六榕路に変わり、左手に六榕寺が見えてきます。


六榕寺花塔1
六榕寺花塔1


この塔は、1931年の再建だそうですが、左に傾いているように見えるのは気のせい?


六榕寺花塔2
六榕寺花塔2


六榕寺案内図
六榕寺案内図


六榕寺観音殿(2003年撮影)
六榕寺観音殿


六榕寺大勇宝殿(2003年撮影)
六榕寺大勇宝殿


六榕寺の眠り猫
六榕寺の眠り猫


こんなところで寝ていたら人に踏まれるぞ〜、と思いながら見ていると、お目覚めしました。


猫お目覚め
猫お目覚め



六榕寺の次に向かったのが、そのちょっと西にある光孝寺です。六榕寺より一回り大きい大伽藍の寺です。


光孝寺1
光孝寺1


光孝寺2
光孝寺2


光孝寺3
光孝寺3


光孝寺4
光孝寺4


光孝寺5
光孝寺5


光孝寺6
光孝寺6


光孝寺7
光孝寺7


時間の関係で六榕寺と光孝寺のどちらかしか参観できないとしたら、私は光孝寺を取ります。寺院建築とし
て見ても、光孝寺の方が多様性があって見応えがあると思います。解放路沿いの観光名所は、まだ越秀公園
内の鎮海楼が残っていますが、光孝寺を参観したところで時間切れとなり、ホテルへ戻りました。

晩飯まで時間があったので、広州の繁華街巡りをしました。まず、ホテルを出てから北京路を南下します。
北京路は常設の歩行者天国です。翌日は5月1日の労働節(メーデー)の祝日なので、各商店は国旗を掲揚
しています。


北京路
北京路


北京路の途中で道の中央に大きな穴があけられガラスで覆われた所がありました。何事かと思って覗きこん
で見ると、昔の路面の発掘現場を展示してありました。

北京路を南下し、大南路との交差点で右へ曲がって、大南路を西へ進み、広州起義路でちょっとクランクし
て大徳路へ入り大徳路を更に西へ進むと、人民路との交差点から大徳路の名前は上九路に変わります。


上九路
上九路


上九路は北京路に匹敵する繁華街です。その中央あたりに、小喫店が軒を連ねる一角がありました。大きな
商業ビルの一階の上九路に面した位置に、10軒くらいの小喫店がテナントとして営業しているのです。その
中の3軒を紹介します。料理の種類は北京の王府井小吃街より豊富です。「食在広州!」に偽り無し。


林林牛雑屋
牛もつスープ屋


牛雑は牛モツの事。メニューの中で形が「夢ト」に似た字は、蘿蔔の簡体字で、大根の事です。「夢ト牛雑」
は牛モツ大根の意味ですが、どのような調理法の点心かは、食べて見てのお楽しみ。「面根」は、私の辞書
には載っていません。「油菜」は辞書によると「アブラナ科の野菜」だそうです。メニューを子細に眺める
と、たこ焼き(章魚小丸子)やマンゴー・プリン(芒果布甸)まであります。サービス精神旺盛と言うべき
か、牛モツ専門店として節操がないと言うべきか。


蒸し点心屋
蒸し点心屋


ここの店舗の中では、日本人にとって最も安全パイの店だと思います。しかし、写真に店名が写っていなかっ
たのは残念。左からメニューを解読していくと、潮州粉果は意味不明。小麦粉と果実を使った潮州の点心?
珍珠はタピオカですが、珍珠鶏はタピオカと鶏肉を組み合わせた点心?馬拉?はマレー風カステラの事。芝
麻醤腸粉は、胡麻醤油米粉クレープ。叉焼包はチャーシュー饅頭。「女乃 皇包」の「女乃」は乳という意味
ですが、クリーム饅頭の事か?干蒸は干物を材料に使った蒸し物でしょうが、何の干物かは判りません。


味本
串屋


串屋ですが、この店にもたこ焼きが!メニュー右端の日本章魚小丸子。大きなのが8個で5元だそうです。


上九路を更に西に進むと、名前が下九路に変わり、道幅も少し狭くなります。


下九路
下九路


下九路を更に西へ進むと、道の名前は第十甫路に変わり、広州を代表する繁華街もいつのまにか普通の商店
街となります。宝華路との交差点で宝華路を北上し、地下鉄1号線長寿路駅で電車に乗ってホテルへ戻りま
した。


宝華路
宝華路


事前に地図で調べた時、宝華路の下は地下鉄が通っているので、大通りだと思っていたのですが、普通の道
幅の商店街でした。恐らく、地下鉄はシールド工法で建設されて、大通りを選んで建設する必要はないので
しょう。参考までにバス停で撮った地図を載せておきます。


地下鉄2号線長寿路駅付近の地図
地下鉄2号線長寿路駅付近の地図


一旦ホテルに戻って一息ついた後、広州二日目の晩飯を捜して北京路へ繰り出しました。北京路を南下して
西湖路との交差点を右へ曲がってすぐの左手(つまり西湖路の南側)の雑居ビルの2階に、湖南料理の店を
見つけたので、そこに入りました。取ってきた店の名刺を見ると、店名は「湘約人家 湖南家郷酒楼」、住所
は西湖路13号(広州百貨大厦対面)とあります。家郷は故郷という意味です。


湘約人家の入口
湘約人家の入口


湖南料理の店は四川料理より辛いとも言われています。日本では私の知る範囲では東京に一軒あり、そこで
食べた事があるのですが、特に辛いとは思いませんでした。恐らく日本人に合わせて辛さを抑えたのでしょ
う。一度、本場の辛さを体験してみたいと思っていた所へ、湖南料理の看板が目に入ったのでこの店を選び
ました。


料理の注文で最初に選んだのが青椒肉絲です。すると小姐が、「唐辛子はどうするか」と聞いてきました。
「おっ、来たな」と内心思いつつ「我希望少的」と答えました。それで出てきたのが写真の料理です。ピー
マンの中に赤い色がちらほらと見えます。これくらいの唐辛子なら大丈夫と思い・・・


青椒肉絲
青椒肉絲


一口たべて、びっくり。ピーマンと思って食べた青い部分は、ピーマンではなくて青唐辛子でした。辞典に
は、青椒はピーマンと書いてあるのですが。しかし、上の写真をよく見れば、やはり青い部分はピーマンで
もししとうでもなく、唐辛子です。小姐が唐辛子はどうするかと聞いたのは、辛さの程度ではなくて、紅色
の彩りの問題かよ。旅先で出された料理は残さず食べるのがモットーの私も、この料理はギブアップ、肉だ
けを箸でより分けて食べました。それ以外の料理は、美味かったです。


瓦片荷包蛋
瓦片荷包蛋


白椒毛豆肉沫
白椒毛豆肉沫


炒飯
炒飯



広州三日目、九廣鐵路の特急「九廣通」で香港へ向かいました。鉄道会社の九廣鐵路は、香港地下鉄(MTR)
と合併し、九廣鐵路の社名は無くなりました。ここでは、九龍半島と廣州を結ぶ路線名の意味で九廣鐵路と
呼びます。

まず、九廣鐵路の広州側の終点駅である広州東駅の外観を紹介します。


広州東駅外観
広州東駅外観

駅前は何もない広場です。というのは正確ではありません。一見、広場に見えるこのスペースは、駅前にあ
るバス・ターミナル、タクシー乗り場、等々の上を覆うコンクリート製の屋根の上、つまり屋上なのです。
2003年11月に香港から九廣鐵路で初めて広州に来た時、駅ビルを出るとこの広場に出て、何もなくて途方に
暮れました。駅ビルから出たのが間違いで、駅ビルの中で地下鉄駅へ向かう階段を捜すべきだったのです。

ここでは、地下鉄1号線で広州東駅に着き、九廣鐵路に乗る経路を紹介します。地下鉄広州東駅の改札を出
たら「広九直通車」の案内を捜し、階段を登ります。香港では「九廣」ですが、広州では「広九」となりま
す。


広州東駅階段
広州東駅階段


九廣鐵路の切符売場です。左側の窓口は人民元、右側の窓口は香港ドルで購入します。人民元と香港ドルの
変換レートは、掲示板の張り紙で表示されていました。列車種類の案内はこちらです。香港側鉄道会社(MTR)
の運行する車輌が九廣通、中国側鉄道会社の運行する車輌が新時速と準高速です。九廣通と新時速は欧州製
機関車の新型車輌です。


九廣鐵路切符売場
九廣鐵路切符売場


切符を買ったら乗車の前に荷物のX線検査と出国審査があります。つまり手続きは航空機と同じです。写真
のエスカレーターで昇ったところに出国審査場のフロアがありますが、出国手続きは発車時刻の45分前から
始まります。時刻表はこちらです。私は、広州東駅11:02発のT821「九廣通」に乗りました。


出入国審査場へのエスカレーター
出入国審査場へのエスカレーター


特急九廣通號の客車は総二階建て車輌です。鉄道ゲージは標準軌で、新幹線と同じです。


特急九廣通號客車外観
特急九廣通號客車外観


下の機関車の写真は、香港の紅 石勘 駅に着いてから撮りました。


特急九廣通號機関車外観
特急九廣通號機関車外観


座席は全席指定席です。座席は普通車でも4列で、幅の広さは新幹線のグリーン車並です。


特急九廣通號客車内部
特急九廣通號客車内部


向こうのプラットホームに深 土川 行きの列車が停まっていました。九廣鐵路の広州付近は複々線になって
おり、あちらの列車が先に発車しましたが、九廣通號が途中で追い抜きました。その時あちらの列車の車内
を観察したのですが、立ち客もいました。乗車券は高いですが、全席指定のこちらの方が良いです。


深土川行き列車
深土川行き列車


2003年に初めて九廣鐵路に乗った時、沿線に異様な建物が並んでいました。企業の社員寮らしき建物、デザ
イン的にはコンクリートの箱と言っていい殺風景な建築物ですが、その壁面に洗濯物がびっしりと干されて
いるのです。聞くところに依ると東莞あたりの工場の社員寮は、一部屋に2段ベッドが4台置かれた、動か
ない寝台列車とも言うべき状況の部屋に、8人の小姐が寝泊まりしているそうです。その8人が洗濯物を窓
際やベランダに干すので、建物の壁面は中国人の若い女性の洗濯物で満艦飾となるのです。その光景を撮ろ
うとカメラを持ちながらシャッター・チャンスを待ったのですが、ちっ、違う。2003年に私が見たのはもっ
と迫力のある風景でした。人手不足で従業員の待遇が上がり、8人部屋が4人部屋になったのでしょうか。


沿線企業の社員寮
沿線企業の社員寮


香港の紅 石勘 駅に着いた時、向かいのプラットホームに停まっていた北京行き列車です。


北京行き列車
北京行き列車


紅 石勘 駅の東側にある広州行き列車の切符売場です。


紅 石勘 駅
紅 石勘 駅








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